横光利一

原綴
Yokomitsu Riichi
生没
1898–1947
出身
福島県東山温泉(現・会津若松市)
日本
時代
近代

生涯

1898年、福島県の東山温泉(現・会津若松市)に生まれた。父の仕事で各地を移りながら育った。早稲田大学に学んだが中退し、文学に専念した。

1924年、川端康成らと同人誌『文芸時代』を創刊した。この雑誌に集った若い作家たちの、感覚的で斬新な表現は「新感覚派」と呼ばれた。新感覚派とは、大正末から昭和初めにかけて、比喩やイメージを駆使した新しい文体で現実をとらえ直そうとした一派である。横光はその中心にいた。

以後、次々と作風を変えながら、新しい小説の方法を模索した。長篇『旅愁』では、西洋と日本、知性と伝統のあいだで揺れる知識人を描こうとしたが、未完に終わった。戦時下を経て、1947年に没した。

作風

横光の初期の文体は、感覚的で斬新な比喩に特徴がある。短篇『頭ならびに腹』の冒頭「真昼である。特別急行列車は満員のまま全速力で走つてゐた。沿線の小駅は石のやうに黙殺された」は、駅を「石のように黙殺された」と表現し、事物を意外なイメージでとらえ直した。こうした新鮮な感覚表現が、新感覚派の名の由来である。

その後、横光は方法を大きく変えていった。中篇『機械』では、人間の心理を、まるで機械の作用のように分析的に描く手法を試みた。登場人物の意識が、自分でも制御できない力に動かされていくさまを、精密な文章で追った。評論「純粋小説論」では、自分を見つめるもう一人の自分という視点を小説に取り込むことを提唱し、当時の文壇に大きな議論を呼んだ。

晩年の『旅愁』では、近代化する日本と西洋文明との関係という、大きな主題に取り組んだ。感覚の実験から思想的な問題へと、横光の関心は移り変わった。生涯を通じて、小説とは何かを問い続けた作家である。

作品

『日輪(にちりん)』(1923年)

古代の邪馬台国を舞台にした初期の作品で、横光の出発点を示す。同じ年の短篇『蠅(はえ)』は、乗合馬車が谷底へ転落する破局を、馬車の馬にとまった一匹の蠅の視点から突き放して描き、新感覚派の方法を鮮やかに示した一篇として知られる。

『機械』(1930年)

小さな工場で働く人々のあいだの、疑心と対立を描いた中篇である。人間の心理を、意志を超えて働く機械仕掛けのように分析的に描き、日本の心理主義小説の代表作とされる。

『上海』は、国際都市上海を舞台に、時代の激動のなかの人間を描いた長篇で、横光の意欲作にあたる。未完の長篇『旅愁』は、その晩年の主題を示す。

文学史における立ち位置と影響

横光は、川端康成とともに新感覚派を率い、昭和初期の日本文学に新しい表現をもたらした作家として文学史に名を残す。ヨーロッパの前衛的な文学運動と呼応しながら、日本語の小説の文体を革新しようとした点に、その意義がある。

当時、横光は川端と並び、あるいは川端以上に、新しい世代の旗手と目されていた。「文学の神様」とまで呼ばれたこともある。ただ、その後の文学史では、ノーベル賞を受けた川端の名声が高まる一方で、横光の評価は変動した。

方法を次々と変え、実験を重ね続けた横光の歩みは、近代小説が新しい表現を求めて格闘した軌跡として、あらためて注目されている。

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