土星人の歌
- 原題
- Poèmes saturniens
- 作者
- ポール・ヴェルレーヌ
- 成立
- 1866
- 国
- フランス
- 時代
- 19世紀
概要
1866年11月に刊行された詩集である。ヴェルレーヌ二十二歳の第一詩集にあたる。印刷費は親戚の女性が出しており、実質的に自費に近い。売れなかった。
題の「土星の」は、占星術で土星のもとに生まれた者を指す。憂鬱で、不運で、想像力が過剰だとされる気質である。巻頭の詩でこの気質が自分たちのものだと宣言される。
構成は五部からなる。「憂鬱」「銅版画」「悲しき風景」「気まぐれ」、そして無題の詩群である。全体で四十篇ほど。
内容には二つの傾向が混在する。一つは、当時の高踏派——感情を抑え、彫刻のような造形を目指した詩人の一群——にならった詩。もう一つは、後のヴェルレーヌの特徴になる、音を優先する詩である。
ヴェルレーヌは1844年、メスの軍人の家に生まれた。父は工兵大尉で、退役後にパリに移った。ヴェルレーヌはパリ市庁に勤めながら詩を書いた。
刊行の前後、ヴェルレーヌは高踏派の詩人たちと交わっていた。1866年、この一派の作品を集めた『現代高踏詩集』が出ており、ヴェルレーヌもそこに詩を寄せている。高踏派は、ロマン主義の感情の吐露に反発し、感情を抑えて形式の完成を目指した。
この詩集は当時ほとんど注目されなかった。ユゴーが礼状を送っている。
三年後の1869年に艶なる宴、その翌年によき歌が出る。1871年にランボーが現れてからは、生活も詩も大きく変わり、言葉なき恋歌が書かれることになる。
文学史における評価と影響
ヴェルレーヌの詩法の出発点として読まれる。この詩集ではまだ高踏派の影響が強く、造形を意識した詩が混じる。だが「秋の歌」のように、意味より音を優先する詩がすでに現れている。
その詩法は後に、ヴェルレーヌ自身の詩「詩法」で定式化される。何よりもまず音楽を、そのためには奇数の音節を選べ、という主張である。フランス詩の伝統では偶数音節、とりわけ十二音節が基本で、奇数音節は破格にあたる。
「秋の歌」は日本の近代詩に直接影響した。1905年、上田敏の訳詩集『海潮音』に収められた訳が、日本語で音を重ねる詩の書き方の手本になった。以後、堀口大學ら複数の訳者が訳している。日本でヴェルレーヌの名が広く知られたのは、この一篇による部分が大きい。
なお「秋の歌」は、第二次大戦中に別の用途で使われている。1944年6月、連合軍がノルマンディー上陸の日時をフランス国内のレジスタンスに伝えるため、BBCのラジオ放送でこの詩の一行を暗号として流した。
内容
巻頭の「土星生まれの人々」で、この詩集の立場が示される。土星のもとに生まれた者は、想像力が強く、意志が弱く、生涯にわたって苦しむ。詩人はその一人である。
「憂鬱」の部には、若い日の記憶と幻滅を扱った詩が並ぶ。「わが夢」は、自分を理解する見知らぬ女を夢に見る詩で、その女の名も声も思い出せないと歌う。
「銅版画」の部は、造形を意識した詩群である。パリの夜景、都市の情景が、彫版のような硬い輪郭で描かれる。高踏派の影響が最も濃い部分にあたる。
「悲しき風景」の部に、この詩集で最も知られた詩が入る。
「秋の歌」は三聯の短い詩である。秋のヴァイオリンの長いすすり泣きが、単調な物憂さで自分の心を傷つける。時を告げる鐘が鳴ると、過ぎ去った日を思い出して泣く。そして、悪い風に吹かれて、枯葉のように舞い散っていく。
内容は単純だが、音の作りが緻密である。フランス語の原詩では、鼻母音と長音が繰り返され、行が短く切られる。意味よりも音の連なりで進む。
同じ部に「白い月」「夜の効果」などが入る。
「気まぐれ」の部には、諷刺と戯れの調子の詩が置かれる。
末尾の「エピローグ」で、詩を書くことについての考えが述べられる。霊感を待つのではなく、仕事として彫琢する、という高踏派に近い立場が表明される。後のヴェルレーヌはこの立場から離れていく。