アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ

原綴
Antoine de Saint-Exupéry
生没
1900–1944
出身
リヨン
フランス
時代
20世紀以降

生涯

1900年、リヨンの貴族の家に生まれた。4歳で父を失い、母のもとで育った。

兵役で飛行機に出会い、以後、職業飛行士になる。1920年代、郵便航空会社アエロポスタルに入り、フランスからアフリカ、南米へ、夜間も含めて郵便を運ぶ路線に従事した。飛行機がまだ危険な乗り物だった時代であり、同僚が次々に事故で死んでいる。南米路線の支社長も務めた。この時期の飛行経験と同僚たちが、作品の素材になる。1929年から書き始め、飛行士でありながら作家として知られるようになった。

1935年、パリ=サイゴン間の飛行記録に挑戦してリビア砂漠に不時着する。水がほとんどないまま数日さまよい、遊牧民に救われた。この体験が人間の土地星の王子さまの砂漠の場面になっている。

第二次大戦が始まると偵察飛行部隊に加わり、フランスの降伏後はアメリカへ亡命した。亡命中は難しい立場にあった。ド・ゴール派にもヴィシー政権にも与せず、フランス人の分裂を憂えたため、双方から批判されている。この孤立の時期に、ニューヨークで星の王子さまを書いた。

1943年、43歳で北アフリカの部隊に復帰する。年齢制限を超え、度重なる事故の後遺症で身体も損なっていたが、飛ぶことを求めた。1944年7月31日、コルシカ島から偵察飛行に出たまま帰還しなかった。1998年にマルセイユ沖でブレスレットが見つかり、2000年に機体の残骸が発見されたが、撃墜か事故かは確定していない。

作風

サン=テグジュペリは、飛行から見た世界を文学の主題にした。初期の作品はいずれも飛行を素材にしながら、冒険譚ではない。書かれているのは、責任、義務、人と人のつながり、そして極限で人間が何を頼りに生きるかである。

夜間飛行では、夜間の郵便飛行を成功させるために部下を危険な便に送り出す支社長が描かれる。個人の命と、事業全体の使命が対立する。冒険の興奮ではなく、責任を負う者の重さが主題になっている。

文章は、哲学的な省察と体験の記録が混ざる。出来事を語りながら、そこから人間や連帯についての考察へ移っていく。小説とも随想ともつかない文体であり、これが形式としての分類を難しくしている。

星の王子さまでは、同じ主題が寓話の形をとる。砂漠に不時着した飛行士が、小さな星から来た王子と出会う。キツネが王子に告げる言葉——「大切なものは目に見えない」「手なずけた(絆を結んだ)ものに、人は責任がある」「バラを特別にしているのは、そのために費やした時間である」——が中心にある。責任と絆という、それまでの作品と同じ主題が、子ども向けの姿で書かれている。

作品

南方郵便機(1929年)

最初の小説である。

夜間飛行(1931年)

夜間郵便飛行の緊張を描く。フェミナ賞を受け、作家としての地位を確立した。

人間の土地(1939年)

飛行の経験をもとにした随想的な作品で、リビア砂漠での遭難の記録を含む。英題は『風と砂と星と』。

戦う操縦士(1942年)

敗戦期のフランスでの偵察飛行の記録である。

星の王子さま(1943年)

亡命先のニューヨークで書かれた寓話である。300以上の言語・方言に訳されているとされ、20世紀の作品として突出した読者数を持つ。

文学史における立ち位置と影響

サン=テグジュペリは「行動の文学」の系譜に置かれる。マルローらと同じく、書斎ではなく現場から書いた作家である。実際に危険な職業に従事し、その経験を思索へ結びつけた点が共通する。

フランス本国での文学的な評価は、国際的な人気ほど高くない時期もあった。哲学的な散文と体験記録が混ざった文体が、小説の形式に収まりにくいためである。思想が明示的すぎるという批判もある。

星の王子さまの受容そのものが一つの現象である。児童書として扱われることが多いが、書かれたのは祖国が占領され、作者が亡命者として孤立していた時期である。責任と絆という主題を、その状況で書いた寓話として読むと、印象が変わる。国や世代を越えて読まれ続け、読者数という点では20世紀の文学作品のなかで突出している。日本でも内藤濯の訳(『星の王子さま』の邦題自体が内藤の訳語)以来、繰り返し翻訳されている。

作品

登場する文学史