戦う操縦士
- 作者
- アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ
- 成立
- 1942
- 国
- フランス
- 時代
- 20世紀以降
概要
敗北の戦場で、勝ち目のない偵察飛行に赴いた自らの体験を綴った記録文学である。
サン=テグジュペリは、第二次世界大戦で、フランス軍の偵察飛行士として従軍した。この『戦う操縦士』は、その体験、とりわけフランスが敗北していく時期の絶望的な偵察飛行を綴った作品にあたる。
一九四〇年、フランスは、ドイツ軍の電撃戦の前に、崩壊しつつあった。もはや勝ち目はなく、フランスの敗北は、目に見えていた。そんな状況で、サン=テグジュペリは、ドイツ軍が占領した町アラスの上空へ、偵察飛行に向かうよう命じられる。
その飛行はほとんど無意味だった。得た情報を伝える味方の組織は、すでに崩壊している。しかも低空を飛べば、地上からの砲火で、撃墜される可能性が高い。まさに、死にに行くような、勝ち目のない任務である。
なぜ、無意味と分かっている任務に、命を賭けるのか。サン=テグジュペリは、砲火のなかを飛びながら、その問いを、深く思索する。 そして彼は、敗北のなかにあっても、自らの義務を果たすこと、仲間と運命を分かち合うことのうちに、人間の尊厳を見出していく。
敗北という極限の状況で、なお失われない人間の尊厳と、共同体への責任を問うた、思索的な戦争記録である。
文学史における評価と影響
サン=テグジュペリの戦争体験を綴った記録文学であり、敗北のなかの人間の尊厳を問うた作品として、高く評価される。
この作品の背景にはフランスの敗北という、痛切な現実がある。誇り高きフランスがドイツに屈した。その屈辱と絶望のなかで、サン=テグジュペリは、それでも失われない人間の価値を、問おうとした。 単なる戦争の記録ではなく、敗北の意味をめぐる、深い思索の書である。
主題は無意味な状況における、義務と尊厳である。勝ち目のない偵察飛行は、合理的には、無意味である。だがサン=テグジュペリは、その義務を果たすこと自体に、価値を見る。 仲間とともに危険を分かち合い、共同体への責任を引き受けること。そこにこそ、敗北しても失われない、人間の尊厳がある、と。
人間の土地からの連続性が深い。行動と責任、人と人との絆という、サン=テグジュペリの一貫した思想が、戦争という極限の状況で、いっそう切実に問い直されている。
アメリカで刊行され、大きな反響を呼んだ。ナチス占領下のフランスでは発禁となったが、敗北したフランスの精神的な抵抗の証として、レジスタンスの人々にも読まれた。危機の時代における、人間の尊厳の書として、記憶されている。
内容
『戦う操縦士』はサン=テグジュペリが、第二次世界大戦における、自らの偵察飛行の体験を綴った、記録文学である。
一九四〇年、フランスは、ドイツ軍の圧倒的な電撃戦の前に、総崩れになりつつあった。軍は壊滅し、道路は、逃げ惑う避難民であふれ、フランスの敗北は、もはや誰の目にも、明らかだった。
そんな状況のなか、偵察飛行隊に所属するサン=テグジュペリは、ある任務を命じられる。ドイツ軍が占領した町、アラスの上空へ飛び、その情報を偵察してこい、というのである。
サン=テグジュペリは、この任務が、ほとんど無意味であることを、よく知っていた。たとえ、危険を冒して情報を持ち帰っても、それを受け取り、活かすべき司令部は、すでに崩壊しかけている。しかも有効な情報を得るには、低空を飛ばねばならず、そうすれば、地上からの激しい対空砲火の的になる。生きて帰れる保証はほとんどない。
それでもサン=テグジュペリは、僚機とともに、アラスへと飛び立つ。
高度を上げれば、酸素マスクや装備の寒さと闘い、高度を下げれば、砲火の嵐にさらされる。アラス上空で、彼の機は、無数の砲弾と、曳光弾の網の中を、くぐり抜ける。 死は、すぐそこにあった。
その死と隣り合わせの飛行のさなか、サン=テグジュペリの意識は、絶えず、思索へと向かう。なぜ、無意味と分かっているこの任務に、自分は、命を賭けているのか。
彼は思う。合理的に考えれば、この飛行は、確かに無意味かもしれない。だが人間は合理だけで生きるのではない。仲間とともに、危険を分かち合い、自らの義務を果たすこと。共同体の一員として、その運命を引き受けること。 そのなかにこそ、敗北しても失われない、人間の尊厳がある。
砲火をくぐり抜け、サン=テグジュペリは、奇跡的に、基地へと生還する。
得た情報はおそらく、何の役にも立たないだろう。だが彼は無意味に見えるその飛行を通して、敗北の底で、なお守るべき人間の価値を、見出していた。
崩壊するフランスの空を舞台に、義務と、絆と、尊厳を問うたこの記録は、敗北のなかの精神の抵抗を刻んで、閉じられる。