哲学辞典
- 原題
- Dictionnaire philosophique
- 作者
- ヴォルテール
- 成立
- 1764
- 国
- フランス
- 時代
- 18世紀
概要
辞典の形をした攻撃の書である。項目がアルファベット順に並ぶ。「アブラハム」「魂」「無神論者」「洗礼」「寛容」「奇跡」「偏見」「戦争」。だが知識を整理するための辞典ではない。
各項目は短い。数ページ、時には一ページに満たない。その短さのうちに、聖書の記述の矛盾、教会の歴史の残虐、迷信の愚かさが次々に突きつけられる。皮肉があり、笑いがあり、時に怒りがある。論証の体裁を装いながら、実質は攻撃である。 項目ごとに独立しているので、どこから読んでもよい。
初版の副題は「携帯用」だった。持ち運べる、隠せる大きさである。発禁と焚書を前提に作られていた。実際、匿名で刊行され、刊行地も偽装されている。刊行後、ジュネーヴ、パリ、ローマで次々に焚書とされた。
書かれた背景には二つの事件がある。カラス事件(1762年)では、トゥールーズのプロテスタントの商人ジャン・カラスが、息子のカトリック改宗を阻むために殺したという嫌疑で車裂きの刑に処された。ヴォルテールはこれを宗教的偏見による冤罪と断じ、三年の運動の末に名誉回復を勝ち取っている。その闘いのさなかに書かれたのが寛容論で、この辞典はその翌年に出た。
ラ・バール事件(1766年)では、若い貴族が十字架を傷つけたという嫌疑で拷問の末に斬首・焼却された。その遺体とともに焼かれたのが、この本である。
ヴォルテールは著者であることを繰り返し否定した。この本を読んだこともない、という手紙を各方面に書いている。当時の常套手段であり、誰もが真の著者を知っていた。版は次々に増補され、初版の七十三項目は最終的に百二十を超えた。
文学史における評価と影響
18世紀の啓蒙思想の最も攻撃的な著作の一つであり、ヴォルテールの宗教批判の集大成にあたる。
独自性はまず形式の選択にある。同時代にはディドロらの『百科全書』という巨大な事業があった。知を体系的に集成し、それによって旧来の権威を掘り崩す試みである。ヴォルテールは逆を行った。 小さく、安く、持ち運べる本。体系ではなく、短い攻撃の集積。
短さが武器である。長い論証は読まれない。一ページの皮肉のほうが遠くまで届く。ヴォルテールはそれを知っていた。禁じられた本ほど写され、持ち出され、貸し借りされるという事情も計算に入っている。
攻撃の標的は明確にあたる。神ではなく教会。信仰ではなく迷信。そして何よりも不寛容。ヴォルテール自身は無神論者ではない。宇宙の秩序から創造者の存在は認めるが、啓示も奇跡も聖職者の権威も認めない理神論の立場である。本書の「無神論者」の項では無神論も批判されている。
寛容という主題が、ヴォルテールの最大の遺産にあたる。カラス事件とラ・バール事件での闘いは、個人が言論によって司法の誤りを正した最初期の例とされる。知識人が公共の問題に介入するという形は、ここに原型を持つ。後のドレフュス事件におけるゾラの「私は弾劾する」は、この系譜に連なる。
同時に批判もある。その宗教批判はしばしば粗雑で、聖書の読み方には意図的な曲解も含まれる。またヴォルテールの寛容は、あらゆる対象に及んだわけではない。 ユダヤ教についての記述には当時の偏見が色濃く残っており、この点は20世紀以降繰り返し論じられてきた。
内容
項目の扱い方は一定していない。対話体のもの、旅行記の体裁をとるもの、寓話のもの。辞典という形式そのものが遊ばれている。
「奇跡」の項ではこう論じられる。奇跡とは、神が自ら定めた法則を破ることである。だが神が完全であるなら、なぜ自分の法則を破る必要があるのか。完全な時計職人が、時計を直すために絶えず手を入れねばならないとすれば、その時計は完全ではなかったことになる。
「偏見」の項では、偏見が教育と習慣によって植えつけられる過程が論じられる。乳母から聞いた話を、人は生涯信じ続ける、と書かれる。
「寛容」の項がこの本の中心をなす。我々は皆、弱さと誤りの塊である、互いの愚かさを赦し合おう、これが自然の第一の法である——そう述べたうえで、宗教の名において行われてきた虐殺が列挙される。十字軍、異端審問、聖バルテルミの虐殺。
「戦争」の項では、その不条理が突きつけられる。君主の些細な権利の主張から何万の人間が殺し合い、いずれの側も神に勝利を祈る。
「教義問答」の系列の項では、対話の形で教義の矛盾が暴かれる。相手に素朴な問いを重ねさせ、答えに窮させる。ソクラテスの問答の方法を、ヴォルテールは宗教批判に転用した。