中国文学の古代 — 詩経・楚辞と司馬遷『史記』
中国文学の古代は、詩の始まりから、隋が中国を再統一する600年頃までを指す。周から漢、そして三国・魏晋南北朝の分裂期にあたる。
中国文学史の特徴は、古代に作られた形式が二千年後まで使われ続けたことにある。ヨーロッパでは古代ギリシャ・ローマの文学がいったん失われ、ルネサンスで再発見された。中国にはこの断絶がない。 文字と書物の系統が連続し、古代の作品は常に読まれ、模範であり続けた。この連続性が、中国文学の強みでもあり、制約でもある。
中国古代の主な作品
| 作品 | 成立 | 作者 | 種類 |
|---|---|---|---|
| 詩経 | 前11〜前6世紀 | 編者未詳 | 詩集(305篇) |
| 『論語』 | 前5〜前3世紀 | 孔子の弟子ら | 語録 |
| 楚辞 | 前3世紀頃 | 屈原ら | 詩集 |
| 史記 | 前91年頃 | 司馬遷 | 歴史叙述(紀伝体) |
| 『短歌行』ほか | 3世紀初 | 曹操 | 詩 |
| 『帰去来辞』『桃花源記』 | 5世紀初 | 陶淵明 | 詩・散文 |
詩経は、詩を読むことを教養そのものにした
詩経は、周代の歌謡を集めたものとされる。民間の歌、宮廷の儀礼歌、祭祀の歌が並ぶ。四字を基本とする句が多く、同じ句を繰り返しながら語を少しずつ変える構成をとる。労働、恋、戦、別れが主題になる。
儒家の経典に位置づけられたことで、この詩集は特別な地位を得る。孔子が編纂したという伝承があり、恋の歌にも道徳的・政治的な解釈が施された。 その結果、詩を読むことが教養そのものになった。外交の場で詩の句を引いて意を伝える、という慣習が記録されている。
楚辞は、個人の情念と幻想を歌った
楚辞は、南方の楚の地の作品を集める。中心にいるのが屈原である。
『詩経』とは性格が異なる。句が長く、リズムが自由で、神話的な情景が展開する。 天上を巡り、神々に問い、香草を身にまとう。
屈原は楚の政治家だったが、讒言によって追放されたと伝えられる。『離騒』は、その追放の悲嘆を、幻想的な遍歴として書く。最後に汨羅(べきら)の川に身を投げたとされ、端午の節句の由来として語られてきた。
『詩経』と『楚辞』の二つが、中国の詩の源流として並べられる。前者が現実の生活と儀礼、後者が個人の情念と幻想。以後の詩人は、この二つの系譜のどちらか、あるいは両方に位置づけられる。
史記は、以後二千年の正史の型を決めた
構成が発明である。帝王の年代記(本紀)、諸侯の記録(世家)、個人の伝記(列伝)、年表、制度史。この紀伝体が、以後の正史すべての型になった。
とりわけ列伝が文学として読まれてきた。刺客、遊侠、商人、医者。制度の記録ではなく、人物の造形として書かれている。 場面と会話で人を描く方法が、後の小説と戯曲の素材になった。
著者自身の事情がこの書に影を落としている。将軍の李陵(りりょう)を弁護して武帝の怒りを買い、宮刑を受けた。 死を選ばず生きて書き上げた理由を、友人への手紙の形で書き残している。
陶淵明は、官を捨てて田園に帰る選択を示した
漢代には賦(ふ)という、事物を列挙し描写を尽くす韻文の形式が発達した。宮廷で読まれることを前提とし、技巧と語彙の豊かさを競う。
後漢末から三国時代、曹操とその子たちが五言詩を用いて、個人の感情を直接書く詩を作った。政治家であり武将である人物が、戦乱と人生の短さを歌う。
陶淵明は官を辞して田園に帰った。『帰去来辞』は、その決意を述べた文章である。詩は、隠遁と農耕と酒を主題にする。技巧を凝らさず、平易な語で書く。同時代の評価は高くなかったが、後世に決定的な位置を得た。官職に就くか隠遁するか、という中国の知識人の根本的な問題に、一つの解答を示したことになる。