中国文学 古代
通史では、この時代を「型が作られた時代」と要約した。ここではその中身を開く。
中国文学史の特徴は、古代に作られた形式が二千年後まで使われ続けたことにある。
ヨーロッパでは古代ギリシャ・ローマの文学がいったん失われ、ルネサンスで再発見された。中国にはこの断絶がない。 文字と書物の系統が連続し、古代の作品は常に読まれ、模範であり続けた。
この連続性が、中国文学の強みでもあり、制約でもある。
詩経 — 歌の集成
詩経(詩経)は、周代の歌謡を集めたものとされる。民間の歌、宮廷の儀礼歌、祭祀の歌が並ぶ。
四字を基本とする句が多く、同じ句を繰り返しながら語を少しずつ変える構成をとる。労働、恋、戦、別れが主題になる。
儒家の経典に位置づけられたことで、この詩集は特別な地位を得る。孔子が編纂したという伝承があり、恋の歌にも道徳的・政治的な解釈が施された。
その結果、「詩を読むこと」が教養そのものになった。 外交の場で詩の句を引いて意を伝える、という慣習が記録されている。
楚辞 — もう一つの源流
楚辞(楚辞)は、南方の楚の地の作品を集める。中心にいるのが屈原(屈原)である。
『詩経』とは性格が異なる。句が長く、リズムが自由で、神話的な情景が展開する。 天上を巡り、神々に問い、香草を身にまとう。
屈原は楚の政治家だったが、讒言によって追放されたと伝えられる。『離騒』は、その追放の悲嘆を、幻想的な遍歴として書く。 最後に汨羅の川に身を投げたとされ、端午の節句の由来として語られてきた。
「詩経」と「楚辞」の二つが、中国の詩の源流として並べられる。 前者が現実の生活と儀礼、後者が個人の情念と幻想。以後の詩人はこの二つの系譜のどちらか、あるいは両方に位置づけられる。
史記 — 歴史を書く形式
司馬遷(司馬遷)の史記(史記)は、伝説の時代から前漢の武帝までを扱う。
構成が発明である。 帝王の年代記(本紀)、諸侯の記録(世家)、個人の伝記(列伝)、年表、制度史。この「紀伝体」が、以後の正史すべての型になった。
列伝が文学として読まれてきた。 刺客、遊侠、商人、医者。制度の記録ではなく、人物の造形として書かれている。 場面と会話で人を描く方法が、後の小説と戯曲の素材になった。
著者自身の事情がこの書に影を落としている。将軍李陵を弁護して武帝の怒りを買い、宮刑を受けた。 死を選ばず生きて書き上げた理由を、友人への手紙の形で書き残している。
詩の成熟へ
漢代には賦という、事物を列挙し描写を尽くす韻文の形式が発達した。宮廷で読まれることを前提とし、技巧と語彙の豊かさを競う。
後漢末から三国時代、曹操(曹操)とその子たちが五言詩を用いて、個人の感情を直接書く詩を作った。政治家であり武将である人物が、戦乱と人生の短さを歌う。
陶淵明(陶淵明)は官を辞して田園に帰った。「帰去来辞」は、その決意を述べた文章である。
彼の詩は、隠遁と農耕と酒を主題にする。 技巧を凝らさず、平易な語で書く。同時代の評価は高くなかったが、後世に決定的な位置を得た。 官職と隠遁のどちらを選ぶか、という中国の知識人の根本的な問題に、彼は一つの解答を示したことになる。
この時代をどう読むか
| 中身 | |
|---|---|
| 断絶がない | 古代の作品が失われず、常に読まれ、模範であり続けた |
| 二つの源流 | 『詩経』の現実と、『楚辞』の情念・幻想 |
| 歴史の型 | 史記の紀伝体が以後の正史の形式を決めた |
| 隠遁という選択 | 陶淵明が官と野のどちらを取るかの型を示した |