詩論

原題
Ars Poetica
作者
ホラティウス
成立
前19頃
ローマ
時代
黄金期

概要

前19年前後に書かれた韻文の書簡である。476行。ホラティウスの書簡集の一篇で、ピソ家の父と二人の息子に宛てた形をとる。

内容は、詩を書こうとする者への助言である。ただし体系はない。論の順序は緩く、話題が移り、格言的な一句が要所に置かれる。 理論書として書かれたのではなく、経験にもとづく忠告として書かれている。

「詩論(Ars Poetica)」という題は後世に付いたもので、原題は単に「ピソ家の人々への書簡」にあたる。

扱われる範囲は広い。作品全体の統一、題材の選び方、人物と言葉づかいの対応、悲劇の構成、俳優と合唱隊の役割、詩人の心構え、そして推敲。実作の現場に近い水準の助言が多く、アリストテレス詩学のような分析ではない。

ホラティウスは前65年、南イタリアの生まれ。解放奴隷の子で、父が無理をして教育を与えた。ローマとアテナイで学び、共和派の軍に加わってフィリッピの戦いで敗走している。恩赦を受けたのち、ウェルギリウスの紹介でマエケナスの庇護を受けた。

作品には、風刺詩、抒情詩集、書簡詩がある。「今日を摘め(carpe diem)」の句は抒情詩集の一篇に由来する。

この書簡の宛先ピソ家については、特定に諸説ある。執筆年も前23年から前8年の幅で議論がある。

作品の性格をめぐっても議論が続く。理論書なのか、書簡の体裁をとった詩なのか。 論の順序が整っていないことを、構成の失敗と見るか、書簡という形式に沿った自然さと見るかで評価が分かれてきた。

背景には、ギリシアの詩論の伝統がある。ホラティウス独自の主張は多くなく、当時のヘレニズム期の理論を踏まえているとみられる。

文学史における評価と影響

ヨーロッパの詩論に最も長く影響した著作にあたる。アリストテレス詩学が中世に忘れられていた期間も、ホラティウスのこの書簡はラテン語で読み継がれ、学校で教えられた。ルネサンス以前の詩の理論は、事実上この一篇に依拠している。

16世紀に詩学が復活したのち、二つは併せて読まれるようになる。フランス古典主義の規則は、両者の混合から作られた。 ボワローの『詩法』は、この書簡の形式と内容を直接引き継いでいる。五幕の遵守、機械仕掛けの神の禁止、舞台上で残酷を見せないという指示は、17世紀フランス演劇の実際の規範になった。

引かれる句が多い。「紫の継ぎ切れ」「有益と快楽」「九年寝かせよ」「山々が産気づいて生まれたのは鼠一匹」「ホメロスさえ居眠りする」。作品を読んでいない層にも、句だけが流通している。

英語圏では、ポープの『批評論』がこの伝統に立つ。ポープはホラティウスの書簡を翻案した詩も書いており、18世紀イギリスの文学観はこの系譜にある。

ロマン主義以降、規則を説く詩論は攻撃の対象になった。詩は規則ではなく霊感から生まれるという主張が広まり、この書簡の権威は低下する。それでも、統一を求める議論、読者を意識する姿勢、推敲を重んじる態度は、実作の側で参照され続けている。

日本では訳が読める。短く、詩学と合冊になっている版もある。

内容

冒頭は比喩から始まる。人間の頭に馬の首をつけ、羽根を生やし、下半身を魚にした絵を見せられたら、笑わずにいられるか。作品はまず統一を持たねばならない、という主張である。

続いて、統一を欠く例として、本題と関係のない美しい描写を挿入することが挙げられる。よく知られた「紫の継ぎ切れ」という言い方は、この箇所に由来する。

言葉については、古語を無理に用いる必要はなく、新語を作ってもよいと述べる。語は用いられなくなれば死に、新しい語が生まれる。使用こそが言葉の規範である、と説明される。

人物の造形が論じられる。老人には老人の若者には若者の言葉と振る舞いがあり、それを取り違えてはならない。神話の人物を扱うなら、伝承で定まった性格に従うべきである。

劇についての助言が続く。五幕を守ること、神を安易に登場させないこと(機械仕掛けの神を濫用するな)、俳優は三人までにすること、残酷な場面は舞台上で演じず報告させること。メデイアが子を殺す場面を観客の前で演じてはならない、と例が挙げられる。

詩の目的については、有名な一句が置かれる。詩人は益することを望むか、楽しませることを望むか、あるいはその両方を望む。 そして、有益と快楽を混ぜ合わせた者があらゆる票を得る、と続く。

推敲については厳しい。九年寝かせよ、と述べる。書いたものはすぐに出さず、手元に置いて直し続けよという趣旨である。正直な批評者を持つこと、その指摘を受け入れることも説かれる。

末尾は諧謔になる。詩に取り憑かれた狂った詩人の姿が描かれる。歩きながら口ずさみ、井戸に落ちても気づかず、捕まえた相手を放さない。助言の書が、詩人への揶揄で終わる。

作者

登場する文学史