武者小路実篤
- 原綴
- Mushanokōji Saneatsu
- 生没
- 1885–1976
- 出身
- 東京・麹町(現・東京都千代田区)
- 国
- 日本
- 時代
- 近代
生涯
1885年、東京の麹町(現・東京都千代田区)に、公家の家系に生まれた。学習院に学び、そこで志賀直哉や有島武郎(ありしまたけお)ら、生涯の友となる仲間と出会った。トルストイの思想に強く傾倒し、人道主義に目覚めた。トルストイは人類愛と非暴力を説いたロシアの作家トルストイである。
1910年、学習院の仲間とともに雑誌『白樺(しらかば)』を創刊した。実篤はその中心となり、個人の尊重と人間性の肯定を明るくうたった。作品は当時の若者に広く支持された。
1918年、宮崎県に理想の共同体「新しき村」を建設した。労働と芸術をともにし、誰もが人間らしく生きられる社会を、小さな村で実現しようとする試みである。のちにダムの建設で村の土地の多くが水没したため、埼玉県にも新たな村が開かれ、その営みは今日まで続いている。実篤はこの運動に生涯かかわり続けた。晩年まで小説・戯曲・随筆を書き、野菜や花に賛を添えた素朴な絵も多く描いた。1951年には文化勲章を受け、1976年に没した。
作風
実篤の文章は、平明で飾りがない。技巧を凝らさず、思ったことをそのまま述べる。この率直さが、実篤の人道主義の思想と一体になっている。難解さを退け、誰にでも届く言葉で理想を語った。
作品を貫くのは、人間への信頼と、自己を肯定する明るさである。世の中の暗い面を暴くのではなく、人が善く生きること、愛し合うことの尊さをまっすぐにうたう。同時代に隆盛した自然主義が、人間の醜さや現実の暗部を描いたのとは、対照的な姿勢である。
理想主義がときに楽天的にすぎるという批判も受けた。だが、その明るさと素直さこそが、実篤の作品を長く親しませてきた。「仲よき事は美しき哉(かな)」といった、絵に添えた言葉も広く知られている。
作品
『お目出たき人』(1911年)
一人の女性への一方的な思いをつづった小説である。相手の気持ちをかえりみず理想を追う主人公の姿を、自己肯定の明るさとともに描いた。実篤の初期の代表作にあたる。
『友情』(1919年)
一人の女性をめぐって、親友どうしの間に生まれる恋と友情の葛藤を描いた小説である。裏切りと自己犠牲を、明快な筆で正面から描き、実篤の作品のなかで最も広く読まれてきた。
戯曲では『その妹』などがあり、人道主義の理想を舞台の上でも問うた。
文学史における立ち位置と影響
実篤は、白樺派を代表する作家の一人として文学史に名を残す。白樺派とは、雑誌『白樺』に集った作家たちの一群で、個人の尊重と人道主義、そして人間性の肯定を掲げた。当時主流だった自然主義の暗さに対し、明るい理想主義を打ち出した点に、その意義がある。
盟友の志賀直哉が精緻な文体で近代小説の一つの完成を示したのに対し、実篤は思想と生き方において白樺派の理想を体現した。「新しき村」の建設は、文学の理想を現実の社会で実践しようとした、稀有な試みである。
その楽天的な人道主義は、時代の変化のなかで古びたと見られることもある。だが人間を信じ、平明な言葉で理想を語り続けた実篤の姿勢は、白樺派の精神を最もよく伝えるものとして記憶されている。