志賀直哉

- 原綴
- Shiga Naoya
- 生没
- 1883–1971
- 出身
- 宮城県牡鹿郡石巻(現・石巻市)
- 国
- 日本
- 時代
- 近代
生涯
1883年、宮城県石巻に生まれ、東京の裕福な家庭で育った。祖父・父ともに実業家で、経済的に恵まれていた。学習院で学び、武者小路実篤らと生涯の友になる。
父との対立が、生涯と作品の一つの軸になった。足尾銅山の鉱毒問題に関心を持ったことや、家の女中との恋などをめぐって父と衝突し、長く不和が続いた。この確執とその和解が、いくつもの作品の素材になっている。
学習院から東京帝国大学に進むが中退。1910年、武者小路実篤らと同人雑誌『白樺』を創刊した。これが「白樺派」の出発点になる。志賀は寡作な作家だった。完璧主義で、少ししか書かない。それでも一作ごとの完成度の高さで、他の作家から神格化された。晩年はほとんど新作を書かず、長老として遇された。1971年、88歳で死去。
作風
志賀は、簡潔で無駄のない文章を確立した。修飾を削ぎ落とし、事実と動作を短く積み重ねる。「〜した。〜だった。」と言い切る、余分のない文体で、後の作家に広く模倣され、日本語の口語文の一つの規範になった。「小説の神様」という呼び名は、この文章の完成度に対するものである。
主題は日常である。父との対立、旅先での出来事、小動物の死。事件らしい事件がない題材から、心の動きだけを取り出す。城の崎にては、怪我の療養で滞在した温泉地で、蜂・鼠・イモリの死を見た体験を書いた短篇で、生と死の距離が淡々と記述される。
好き嫌い、快不快といった、理屈以前の感覚を、そのまま文章にする点も特徴である。説明せず、感じたままを短く置く。この直截さが、簡潔な文体と結びついている。
作品
城の崎にて(1917年)
短篇の代表作である。温泉町で小動物の死を見つめ、生と死の境を静かに書く。十数ページで読め、文体の特徴が最もよく出ている。
和解(1917年)
長く対立した父との和解を描いた私小説である。小僧の神様(1920年)は、鮨をおごってもらった小僧と、その相手をめぐる小品である。
暗夜行路(1921〜37年)
唯一の長篇で、自らの出生の秘密に苦しむ主人公の遍歴を描く。断続的に16年かけて完成させた。
文学史における立ち位置と影響
志賀は私小説の完成形とされる。作者自身の身辺を素材にしながら、告白の生々しさではなく、簡潔な描写に徹した点が特徴である。私生活を書いても湿っぽくならず、文章の質で読ませる。
武者小路実篤らとともに「白樺派」に属する。人道主義と自我の肯定を掲げた集団で、裕福な家庭の出身者が多い。自然主義の暗さと宿命観に対する、明るい反発として位置づけられる。
その影響力の大きさは、後に批判の対象にもなった。私小説が日本文学の主流であり続けたこと——社会を描かず、作者の身辺に閉じること——への批判は、しばしば志賀の完成度の高さと結びつけて語られる。手本が完璧すぎたために、後続がその枠から出にくくなった、という見方である。
芥川龍之介は晩年、志賀の「筋のない小説」を高く評価した。構成を重んじた芥川が、事件のない志賀の作品に惹かれたことは、自身の方法への揺らぎのあらわれとして知られる。著作権保護期間は満了している。