舞姫
- 作者
- 森鴎外
- 成立
- 1890
- 国
- 日本
- 時代
- 近代
概要
1890年、雑誌『国民之友』に発表された短篇小説である。鷗外がドイツ留学から帰国した二年後の作で、留学体験が直接の素材になっている。ベルリンに派遣された若い官吏が、貧しい踊り子と関係を持ち、出世の機会と引き換えに彼女を捨てるまでを描く。文語による雅文体で書かれており、原文で読むには註が要る。『うたかたの記』『文づかひ』と合わせて「ドイツ三部作」と呼ばれる。
鷗外は陸軍軍医として1884年から4年間ドイツに留学し、衛生学を学んだ。帰国の直後、一人のドイツ人女性が鷗外を追って来日し、一月ほど滞在して帰国している。この事実は当時から知られており、作品との関係が長く論じられてきた。ただし作中の出来事がそのまま起きたわけではなく、どこまでが体験でどこからが創作かは確定していない。
発表は1890年、雑誌『国民之友』である。同じ年に鷗外は、この作品をめぐって石橋忍月と論争している。争点は、豊太郎の行動が人物として一貫しているかどうかだった。
文学史における評価と影響
日本の近代文学が、西洋を内側から見た経験を書いた最初期の例にあたる。それまでの日本人にとって西洋は書物のなかにあったが、この作品の語り手は現地で学び、現地の人と暮らし、その社会のなかで職を失う。外から眺めた異国ではなく、生活の場として書かれている。
主題は、個人の意志と、家や国が押しつける役割の衝突である。豊太郎はベルリンで初めて「自分は何をしたいのか」を考えるが、その自我はエリスとの生活とともにあり、出世と両立しない。彼は自我を選ばず、役割の側に戻った。近代日本の知識人が繰り返し直面する問題が、ここで最初に書かれている。
文体は文語の雅文体で、漢語と和文の格調ある調子で書かれている。同時期、二葉亭四迷は浮雲で話し言葉に近い文体を模索していた。鷗外はその逆に、格調の高い古典的な文体を選んでいる。近代文学の出発点に、二つの方向が並んで立っていたことになる。
豊太郎の評価は、発表当時から割れてきた。弱く身勝手な男とする読み方と、当時の官吏に他の選択肢はなかったとする読み方がある。作品自体が判断を下しておらず、最後の一文で憎悪を書き残したまま終わる点が、この分かれ方を支えている。
高校国語の定番教材でもある。文語文で読む最初の近代小説として扱われることが多い。
著作権保護期間は満了しており、青空文庫で全文を読める。
あらすじ
語り手は太田豊太郎。帰国の途につく船の上で、これまでのことを書き記す形をとる。
豊太郎は幼くして父を亡くし、母の期待を背負って学問に励んだ。大学を優秀な成績で出て官吏となり、洋行の命を受けてベルリンに渡る。
ベルリンでの三年、豊太郎は法律や政治を学ぶうちに、自分がこれまで他人の敷いた道を歩いてきただけだと気づく。学問の方向を自分の関心に沿って変え、それが省の上司の不興を買った。同郷の者たちも彼を中傷する。
ある夕暮れ、豊太郎は教会の前で泣いている少女に出会う。エリスという名の踊り子で、父が死に、葬儀の費用がないという。豊太郎は時計を売って金を渡した。この一件が同郷者に知られ、豊太郎は免官になる。
職を失った豊太郎はエリスと暮らし、新聞に記事を書いて糊口をしのいだ。エリスは彼を支え、やがて身ごもる。
そこへ、友人の相沢謙吉が現れる。相沢は有力な大臣の腹心で、豊太郎に再起の道を用意した。大臣に随行してロシアへ赴き、そこで通訳として働けば、帰国して官途に復せる。ただし条件がある。エリスと別れることである。豊太郎はその場で承知した。
ロシアから戻った豊太郎は、決断を告げられないまま倒れ、数週間人事不省となる。その間に、相沢がエリスへ事情を伝えた。エリスは正気を失い、豊太郎の名を呼びながら襁褓を縫い続けるようになる。
豊太郎は母子に生活の費用を残し、相沢とともに帰国の途につく。手記は、相沢に感謝しながらも、彼を憎む心が今なお残っている、という一文で閉じられる。