日本永代蔵

作者
井原西鶴
成立
1688
日本
時代
近世

概要

金儲けの話だけを集めた本である。全六巻、三十話。一話は数ページで、いずれも町人が財産を築くか、失うかの経過を扱う。

副題が「大福新長者教」——長者になる教え——となっている。実用書の体裁を取っているわけである。実際、始末(倹約)、才覚、正直、勤勉といった徳目が繰り返し説かれる。

だが読むと、そう単純ではない。成功する話と同じくらい、没落する話が入っている。しかも没落の理由は、怠けたからとは限らない。運が悪かった、時勢が変わった、というだけの話が混じる。

出てくる商売も具体的である。両替、酒造、呉服、材木、廻船、干鰯。当時どの商売でどう儲けたかが、実際の手口として書かれている。 天候を読んで買い占める、他人が捨てるものを拾って売る、暖簾を守るために息子を勘当する。

金額が細かく出てくる。何貫、何両、何文。西鶴は数字を惜しまない。当時の物価と暮らしの水準が、そのまま資料として残っている。

これは好色一代男から始まる仕事の続きにあたる。西鶴は町人の関心事を順に扱った。 色(好色一代男好色五人女)、次いで金(この作品)、そして世間の付き合い(世間胸算用)。

文学史における評価と影響

日本で最初の、経済を正面から扱った文学とされる。

それまでの日本の物語で、金は主題にならなかった。貴族の物語には恋と権力があり、軍記には戦と忠義がある。この作品は、金がどう動くかそのものを話の中心に置いた。

この転換は、時代の変化に対応している。元禄期、商人が実際に力を持ち始めていた。 武士の家格ではなく、蓄えた金が人の位置を決める。西鶴はそれを肯定も否定もせず、起きていることとして書いた。

「始末」と「才覚」という二つの語が、この本の鍵になる。始末は倹約、才覚は機を見る力にあたる。両方なければ長者になれない、というのが表向きの主張である。

ただし西鶴はそこで止まらない。才覚があっても失敗する話、正直でも没落する話を並べている。教えの本の形をとりながら、その教えが必ずしも通用しないことを見せる。 この二重性が、この本を単なる処世書から引き離している。

近代以降、史料としても重視されてきた。経済史、生活史、物価史の研究でしばしば引かれる。同時に、尾崎紅葉ら明治の作家が西鶴の文体を手本としたことで、文学としても読み直された。

内容

各話は、ある家がどう富み、どう傾いたかを追う形をとる。

成功の型。若い頃から無駄を省き、寝る間を惜しんで働き、機を見て手を打つ。ある男は、他人が価値を認めないものを安く仕入れて売る。ある男は、天候を読んで米を買い占める。知恵と運と勤勉が組み合わさったときに財が生まれる、と書かれる。

倹約の話が繰り返し出る。提灯の油を惜しむ、紙一枚を無駄にしない、正月の餅の数を決める。度を越した吝嗇として滑稽に書かれることもあり、美徳として書かれることもある。 西鶴はどちらとも断定しない。

没落の型。遊里に通う、芝居に凝る、茶の湯に凝る、身分不相応な暮らしをする。あるいは、相場を読み違える。一代で築いた財が、二代目で消える話が多い。

印象的なのは、努力しても駄目な話である。ある家は真面目に商いを続けたが、時勢が変わって立ち行かなくなる。ある男は正直に振る舞ったために損をする。教えに従っても報われるとは限らない、という例が意図的に混ぜてある。

具体的な商売が並ぶ。両替商、酒屋、呉服屋、材木商、廻船問屋、質屋。地方の話も多く、京・大坂・江戸だけでなく、長崎、堺、伊勢、越後が舞台になる。日本各地の経済が、この一冊に写っている。

末尾の話では、金を残すことの意味そのものが問い直される。財を築いても、使わなければ何にもならない。だが使えばなくなる。答えは示されず、そこで巻が閉じられる。

作者

登場する文学史