世間胸算用

作者
井原西鶴
成立
1692
日本
時代
近世

概要

すべての話が同じ一日に起きる。大晦日である。全五巻、二十話。この設定だけで一冊が組まれている。

当時、商いの代金は掛け——後払い——が普通で、その総決算が大晦日だった。この日までに払えなければ信用を失う。 借りている側は逃げ、隠れ、言い訳を並べる。貸している側は夜通し取り立てて回る。

書かれているのは、その攻防である。居留守を使う、病気のふりをする、金を借りて別の借金を返す、質屋へ走る、夫婦で口裏を合わせる。取り立てる側も、脅し、泣き落とし、居座りと手を尽くす。

同じ日の別々の家を、二十通り見せていく構成にあたる。貧しい長屋も、それなりの店も、落ちぶれた武家も出てくる。大晦日という一点で切ると、その家の実情が全部見える。

西鶴は判断を下さない。払えない側を怠け者とも書かず、取り立てる側を非情とも書かない。そういうものだ、として並べる。

副題に「大晦日は一日千金」とある。この一日をどう乗り切るかで、その先の一年が決まる、という意味にあたる。

日本永代蔵が金の作り方を扱ったのに対し、こちらは金がない側の一日を扱う。西鶴の晩年の作で、刊行の翌年に西鶴は死んでいる。

文学史における評価と影響

西鶴の作品のなかで最も構成が意識的な一冊とされる。

一日に限定するという仕掛けが、この本を単なる短篇集から引き離している。同じ時刻に、町のあちこちで同じことが起きている。 二十の話を読み終えると、大坂という都市そのものが見えてくる。

描写の細かさも評価される。何がいくらで、誰が何を質に入れ、どんな言い訳が通用するか。当時の庶民経済が、生活の側から記録されている。 経済史・生活史の資料として頻繁に引かれる。

滑稽さと切実さが同居している。追い詰められた者の言い訳は笑えるが、その内実は明日の米がないという事情である。西鶴はその両方を同じ調子で書く。

日本永代蔵との対比もしばしば論じられる。あちらは成功と没落を扱い、教えの体裁を持っていた。こちらには教えがない。 何をどうすれば助かるという話ではなく、その日をどう凌ぐかの話である。

近代以降、西鶴が再評価される過程で、この作品は写実の到達点として挙げられてきた。特定の主人公を置かず、大量の細部で世相を見せる方法が注目されている。

内容

各話は、大晦日の一日を、ある家から見る形をとる。

逃げる側の工夫。ある男は、掛取りが来ると聞いて朝から家を空ける。ある家は、病人が寝ているから静かにしてくれと言って追い返す。ある夫婦は、夫が死んだことにして喪中を装う。嘘が次々に発明される。

追う側の工夫。取り立ての側も慣れている。裏口を見張り、隣家に聞き込み、夜が明けるまで座り込む。日付が変われば取り立ての効力が変わるため、時間との勝負になる。

質屋が舞台の話。大晦日、質屋には人が並ぶ。着物、鍋、道具。何を入れれば正月を越せるかを計算する場面が細かく書かれる。

落ちぶれた武家の話。体面を保たねばならないぶん、町人より苦しい。刀を売れず、質にも入れられない。見栄が生活を締めつける構図が示される。

うまく立ち回る者の話もある。大晦日にわざと安く買い叩く商人、この日を狙って商売をする者。苦境が誰かの商機になっている。

女房たちの働きが目立つのも、この本の特徴にあたる。夫が逃げ回るあいだ、応対し、言い訳を考え、金を工面するのは妻である場合が多い。

末尾では、大晦日が明けて元日になる。人々は何事もなかったように晴れ着を着て、年始の挨拶に出る。昨夜の攻防は、その顔からは見えない。

作者

登場する文学史