近代能楽集

作者
三島由紀夫
成立
1956
日本
時代
現代

概要

古典の能の名作を、現代を舞台に翻案した戯曲集である。

三島は小説だけでなく、戯曲にもすぐれた作品を残した。この『近代能楽集』は、日本の古典芸能である能の名曲を、現代劇として書き換えた、一幕物の戯曲を集めたものにあたる。

三島は、能の物語の骨格——たとえば、恋の妄執や、死者の霊、時を超えた愛——を取り出し、それを現代の東京を舞台に、現代人の物語として置き換える。 能面や装束は用いず、ふつうの会話劇の形をとりながら、能の持つ幽玄で象徴的な世界を、現代に甦らせようとする。

収められた代表作に、「卒塔婆小町(そとばこまち)」がある。原作の能は、絶世の美女だった小野小町が、老残の姿になった話である。三島は、これを、公園のベンチに座る醜い老婆と、彼女に見とれる若い詩人の物語に置き換える。老婆はかつての恋の記憶を語り、詩人は、彼女を美しいと言った瞬間に死ぬ運命にある。

ほかに、「葵上(あおいのうえ)」「班女(はんじょ)」「弱法師(よろぼし)」など、八篇が収められている。古典の幽玄と、三島の耽美的で観念的な現代劇とが、みごとに融合している。

文学史における評価と影響

三島由紀夫の代表的な戯曲集であり、伝統と前衛を結んだ試みとして高く評価される作品にあたる。

この作品集の独自性は、古典の能を、現代劇として再創造した点にある。三島は、単に能を現代語に訳したのではない。能の物語の本質的な核——妄執、幽霊、時を超えた愛といった主題——を取り出し、それを現代人の心理劇として、まったく新しく書き直した。 伝統の骨格に、現代の血を通わせたのである。

主題は、能に共通する「妄執」と「時を超えるもの」である。かなわぬ恋への執着、死者の変わらぬ思い、老いてなお消えぬ美への記憶。こうした、時間や生死を超えて持続する情念は、三島自身の文学の主題とも、深く響き合っている。 金閣寺の美への執着や、豊饒の海の転生の主題と、通じるものがある。

上演可能な戯曲としての完成度も高い。会話は知的で、構成は緊密で、一幕物として舞台に乗せやすい。そのため、日本国内だけでなく、海外でも数多く上演され、三島の名を、劇作家として世界に知らせた。

古典芸能を現代に甦らせるこの試みは、後の演劇にも影響を与えた。日本の伝統と西洋的な現代劇とを、高い次元で融合させた達成として、繰り返し論じられている。

内容

『近代能楽集』は三島由紀夫が、古典の能の名曲を、現代を舞台にした一幕物の戯曲に翻案した、作品集である。「卒塔婆小町」「綾の鼓」「葵上」「班女」「道成寺」「熊野」「弱法師」など、八篇が収められている。

三島は、能の物語から、その本質的な核を取り出す。そして能面も装束も用いず、現代の東京などを舞台にした、ふつうの会話劇の形で、それを甦らせる。 目に見えるのは現代人の日常だが、その底には、能の持つ、幽玄で象徴的な世界が流れている。

代表作の一つが、「卒塔婆小町」である。

原作の能「卒塔婆小町」は、かつて絶世の美女とうたわれた小野小町が、年老いて、みじめな姿になり果てた話である。三島は、これを次のように書き換える。

夜の公園。ベンチに、汚らしい老婆が座っている。そこへ、若い詩人がやってくる。詩人は、初めこの老婆を蔑むが、話すうちに、老婆がかつて、鹿鳴館の時代に、数多の男を虜にした美女だったことを知る。老婆は言う。私を美しいと言った男は、みな死んだ、と。

老婆が昔の恋の記憶を語るうちに、詩人の目には、老婆が、若く美しい娘の姿に見えてくる。そして詩人は、思わず「あなたは美しい」と口にしてしまう。その瞬間、詩人は、老婆の呪いのとおり、命を落とす。時を超えて持続する美と、それに触れた者を滅ぼす、恐ろしい力が、現代の公園を舞台に描かれる。

ほかの作品も、同様の手法で書かれている。「葵上」では、嫉妬に狂う六条御息所の生霊が、現代の病院を舞台に甦る。「班女」では、扇を交わして別れた男を待ち続ける女の狂気に近い純愛が描かれる。

いずれの作品でも、三島は、かなわぬ恋への妄執、死者の変わらぬ思い、時や生死を超えて持続する情念を、現代人の心理劇として、鮮やかに造形する。

古典の能が持つ幽玄で象徴的な世界と、三島特有の耽美的で観念的な現代劇。その二つがみごとに融合したこの戯曲集は、伝統を現代に甦らせた、稀有な達成となっている。

作者

登場する文学史