居酒屋
- 原題
- L'Assommoir
- 作者
- エミール・ゾラ
- 成立
- 1877
- 国
- フランス
- 時代
- 19世紀
概要
1876年から翌年にかけて雑誌に連載され、1877年に単行本が出た長篇小説である。ゾラの名を決定づけ、その後の生活を支える収入をもたらした。
「ルーゴン=マッカール叢書」の第七作にあたる。この連作は、一つの一族の子孫を第二帝政期の各階層に配置し、遺伝と環境が人間をどう作るかを描くという構想で書かれた。第二帝政とは、ルイ=ナポレオンが1852年に皇帝ナポレオン三世として即位し、1870年の敗戦で倒れるまでの時期を指す。
舞台はパリ北部のグート・ドール地区。当時、市域の拡張で郊外の村が市内に組み込まれ、地方から流入した労働者が密集していた。主人公ジェルヴェーズは南仏プロヴァンスから出てきた洗濯女で、足に軽い障害がある。
原題の L'Assommoir は、酒場を指す当時の俗語である。もとは「打ちのめすもの」を意味する語で、粗悪な蒸留酒を出す店に使われた。
この作品でゾラは、労働者の話し言葉を地の文にも持ち込んだ。登場人物の台詞だけでなく、語り手の記述にも俗語が混ざる。
ゾラは執筆にあたって、労働者街を実地に調べている。グート・ドール地区を歩き、集合住宅の構造、洗濯場、酒場の設備を記録した。労働者の俗語については、当時出た隠語辞典を参照している。取材ノートが残っている。
連載中から非難が起きた。労働者を貶めているという批判が左派から、猥褻だという批判が右派から出た。ゾラは序文で反論し、自分は民衆の言葉をそのまま写しただけであり、この作品は民衆についての最初の道徳的な小説だと書いた。
売れ行きは当時としては異例だった。ゾラはこの収入でパリ郊外メダンに家を買い、そこに若い作家たちが集まるようになる。1880年、その集団が短篇集『メダンの夕べ』を出し、モーパッサンの脂肪の塊が収められた。
登場人物のうち、娘ナナは三年後のナナで主人公になる。ジェルヴェーズの息子の一人はジェルミナールの主人公エチエンヌにあたる。
文学史における評価と影響
文体の面では、地の文への話し言葉の導入が最も大きい。それまでのフランス小説は、登場人物に俗語を話させても、地の文は整った書き言葉で書いた。ゾラは語り手の記述にも同じ語彙を混ぜ、地の文と人物の意識の境目を曖昧にした。この方法は後に自由間接話法として整理される。
主題としては、貧困を個人の資質ではなく条件の問題として扱った点が指摘される。ジェルヴェーズは勤勉で、店を持つところまで行く。転落のきっかけはクーポーの落下事故で、これは本人の落ち度ではない。事故から復帰できる余裕がない、という状態が描かれる。
同時に、ゾラの決定論には批判もある。連作の構想では、この一族には遺伝的な弱さが仕込まれており、ジェルヴェーズの転落もその発現として位置づけられる。環境の記述と遺伝の説明が、作中でうまく噛み合っていないという指摘が古くからある。
酒の描写は、当時の禁酒運動に利用された。作中の蒸留器の描写や、アルコール中毒の症状の記述が、宣伝の材料として引かれている。ゾラの意図とは別のところで作品が使われた例にあたる。
日本の自然主義は、この作品ではなくゾラの理論の側を受け取った。社会の構造を書くのではなく、作者自身の私的な告白へ向かい、私小説の伝統を生んでいる。
あらすじ
1850年ごろ。ジェルヴェーズは、内縁の夫ランチエと二人の子とともにパリに出てきたが、宿代を払えずにいる。冒頭、ランチエは別の女と出ていく。ジェルヴェーズは洗濯場で、その女の妹と取っ組み合いの喧嘩をする。
ジェルヴェーズは屋根職人のクーポーと知り合い、結婚する。クーポーは酒を飲まず、真面目に働く。二人はよく働き、少しずつ蓄えを作る。娘ナナが生まれる。
隣人の鍛冶職人グージェが、ジェルヴェーズに好意を寄せている。無口で、母と暮らし、金を貯めている。
ある日、クーポーが屋根から落ちる。命は助かるが、長い療養のあいだに働く習慣を失う。回復してからも仕事に戻らず、酒を飲むようになる。
ジェルヴェーズは、グージェから金を借りて洗濯屋を開く。店は繁盛する。この時期が生活の頂点にあたる。
自分の聖名の祝日に、ジェルヴェーズは大がかりな祝宴を開く。十四人が集まり、鵞鳥を焼く。用意した食事を全員が食べ尽くす。この場面は作中で最も長く書かれる。
宴の最中に、家を出ていたランチエが現れる。クーポーはランチエと意気投合し、家に住まわせる。ジェルヴェーズは反対しきれず、やがてランチエとの関係も戻る。二人の男と一つ屋根の下で暮らす状態になる。
店の金が減っていく。ランチエは働かず、クーポーは酒に使う。ジェルヴェーズは客を失い、掛け売りが返らず、借金が増える。働く気力も落ちていく。
店を手放す。同じ建物の上の階の狭い部屋に移る。娘ナナは十五歳で家を出て、街に立つようになる。
グージェが結婚を持ちかけるが、ジェルヴェーズは断る。
クーポーの飲酒は進み、幻覚を見るようになる。入退院を繰り返し、最後は病院の隔離室で、体を痙攣させ続けたまま死ぬ。ゾラはこの経過を、医学書の記述に沿って詳しく書いている。
ジェルヴェーズは働けなくなり、掃除の仕事も失い、物乞いをする。冬のある日、階段の下の物置に敷いた藁の上で死んでいるのが見つかる。誰も気づかないまま数日が経っていた。