勝負の終わり
- 原題
- Fin de partie
- 作者
- サミュエル・ベケット
- 成立
- 1957
- 国
- フランス
- 時代
- 20世紀以降
概要
一幕、休憩なしで九十分ほどの戯曲である。場面転換がない。 灰色の壁に囲まれた一室があり、そこから誰も出ていかないまま劇が終わる。
高い位置に二つの小さな窓があり、そこから外を覗くと海も陸も灰色で、何も動いていない。世界は何かの破局の後で荒廃しているらしいが、何が起きたのかは説明されない。
登場人物は四人。ハム——盲目で車椅子から動けない、支配的な主人。クロヴ——ハムに仕える召使で、座ることができない。ナッグとネル——ハムの両親で、両脚を失い、二つの屑籠の中に住んでいる。
四人は終わりを待っている。だが終わりは来ない。「終わった、終わってしまった、もう終わりそうだ」——冒頭のクロヴの台詞が、そのまま作品の状態を言い当てている。物資は尽きかけ、薬もなくなり、外に生き物はいない。それでも死なない。
題はチェスから来ている。駒がわずかしか残らず、勝負が決しつつあるが、まだ手を指し続けなければならない段階を指す。
ベケットはゴドーを待ちながらの成功の後、これをフランス語で書き、1957年にロンドンでフランス語のまま初演した。ベケット自身、これをゴドーを待ちながらより「難しく、いっそう容赦のない」作品と考えていた。ゴドーを待ちながらの二人はまだ屋外にいて、待つべき対象があった。ここでは外界は死に絶え、待つべきものもない。
文学史における評価と影響
不条理演劇の代表作の一つとされる。
主題は終わりの不可能性である。すべては終わりつつある。だが終わりは来ない。クロヴは去ろうとして去らない。ハムは死のうとして死なない。幕が下りるとき、クロヴは戸口に立ったまま動かず、ハムは冒頭と同じ姿勢に戻っている。始まった時点に戻って劇が終わるという構造が、この宙吊りを形にしている。
支配と依存の関係も鋭く描かれる。ハムは動けないが命令する。クロヴは動けるが去れない。互いに相手なしには生きられず、同時に互いを憎んでいる。サルトルが出口なしで書いた「地獄とは他人のことだ」と響き合う構図だが、こちらには出口があるのに使われない、という違いがある。
舞台の構成は極限まで切り詰められている。一つの部屋、四人、動かない身体。ベケットはこの後さらに削っていき、老人と録音機だけのクラップの最後のテープ、土に埋まった女だけのしあわせな日々へ進む。この作品はその方向の出発点にあたる。
同時に、この劇は笑いの多い作品でもある。ナッグの下手な冗談、ハムとクロヴの掛け合い。ネルの「不幸ほど滑稽なものはない」という台詞が、この調子を言い当てている。絶望を笑いで持ちこたえるというベケットの姿勢は、ここでも変わらない。
核戦争後の世界として読まれることが多い。荒廃した外界、生き残ったわずかな人間、尽きていく物資。ただしベケット自身は、この作品にいかなる明確な解釈を当てることも拒み続けた。
あらすじ
灰色の一室。二つの屑籠に布がかぶせられている。車椅子の上でハムが布をかぶって眠っている。
召使クロヴが脚立を運び、高い窓から外を覗く。海も陸も灰色で、何もない。クロヴは言う。終わった、終わってしまった、もう終わりそうだ。
ハムが目を覚ます。盲目で車椅子から動けないが、支配的でクロヴをこき使う。ハムは動けないが命令できる。クロヴは動けるが去ることができない。 クロヴは繰り返し出ていくと言うが、決して出ていかない。
屑籠からハムの父ナッグが顔を出す。両脚を失い、屑籠に住んでいる。餌をねだる。もう一つの屑籠から母ネルが顔を出す。二人は遠い日の思い出——ボートで遊んだ日、笑い合った日——を断片的に語る。ナッグはネルに古い冗談を聞かせる。不幸ほど滑稽なものはない、とネルは言う。 やがてネルは動かなくなる。死んだらしい。だが誰も確かめない。
ハムは繰り返しクロヴに命じる。窓の外を見ろ。時計を持ってこい。犬のぬいぐるみを持ってこい。そしてハムは自分の「物語」を語る。飢えた男が子どもを連れて助けを求めに来た、という話である。この物語は繰り返し語られ、決して完結しない。
日々は同じことの繰り返しになる。薬も食料も尽きていく。自然も死に絶えた。ある時クロヴがノミを見つけ、殺す。人類が再び始まらないように、と説明される。
ある時、クロヴが窓の外に一人の少年の姿を見たと言う。生き残りがいるのかもしれない。だがそれが本当なのかもはっきりしない。
劇の終わり。クロヴは旅装を整え、部屋の入口に立つ。去ろうとしている。だが去らない。ハムは一人、車椅子の上で独白し、持ち物を一つずつ捨て、最後に顔に布をかぶせる。冒頭と同じ姿勢に戻る。 クロヴは入口に立ったまま動かない。幕。終わりは来ない。