小林秀雄
- 生没
- 1902–1983
- 国
- 日本
- 時代
- 近代
何をやったか
日本の文芸批評を、独立した文学の一形式にした。
それ以前の批評は、作品の紹介・解説・道徳的な評価が中心だった。小林は批評家が対象と格闘する過程そのものを文章にするという書き方をした。
デビュー作『様々なる意匠』(一九二九年)は、当時対立していたプロレタリア文学と新感覚派の双方を、「意匠(デザイン)」として相対化した。 どの主義も一つの装いにすぎず、そこを通り抜けたところに個人の生きた実感があるという趣旨である。
主義主張の対立の外に立つ位置を、批評の側から確保した文章として読まれてきた。
文学史の中の位置
私小説を論じる
『私小説論』(一九三五年)は、日本文学の中心にあった私小説という形式を正面から問題にした。
論点は、「私」が社会から切り離されているという点にある。ヨーロッパの作家が社会の中で自分を捉えるのに対し、日本の私小説の「私」は文壇という狭い世界の中で完結している、という指摘である。
「社会化された私」という語がここで使われる。日本文学が近代的な個人をどう扱ったかをめぐる、以後の議論の基準になった。
対象の広さ
彼が論じた対象は文学に限らない。
- フョードル・ドストエフスキー — 『ドストエフスキイの生活』ほか、長く論じ続けた
- アルチュール・ランボー / シャルル・ボードレール — 若い頃から傾倒した。日本におけるランボー受容の中心にいる
- 絵画 — 『近代絵画』でセザンヌ、ゴッホらを扱った
- 古典 — 『無常という事』などで日本の中世を論じた
- 本居宣長 — 最後の大著『本居宣長』(一九七七年)に十年以上を費やした
専門の枠を作らず、対象に入り込んで書くという姿勢が一貫している。
批判もある
文体が断定的で、論証の手続きを踏まないという批判は当初から存在する。詩的な喚起力で読ませる書き方であり、学問的な論文の基準では検証しにくい。
また戦時中の言動をめぐる問題があり、戦後に責任を問われた。「利口な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか。僕は馬鹿だから反省なぞしない」という趣旨の発言が繰り返し引用され、批判の対象になってきた。
それでも、日本語で批評を書くという行為の水準を決めた人物であるという評価は動いていない。
代表作
『様々なる意匠』(一九二九年) — デビュー評論。
『私小説論』(一九三五年) — 日本文学の中心的な形式を論じた。
『無常という事』(一九四六年) — 日本の古典と歴史をめぐる連作。
『本居宣長』(一九七七年) — 十年以上をかけた最後の大著。
この先へ
- 時代の中で見る: 日本文学 近代
- 論じた対象: フョードル・ドストエフスキー / アルチュール・ランボー / 本居宣長
- 批判の対象: 田山花袋 — 私小説