小林多喜二
- 原綴
- Kobayashi Takiji
- 生没
- 1903–1933
- 出身
- 秋田県北秋田郡下川沿村(現・大館市)
- 国
- 日本
- 時代
- 近代
生涯
1903年、秋田の貧しい農家に生まれ、幼くして一家で北海道の小樽に移った。伯父の経営するパン工場を頼っての移住である。苦学して小樽高等商業学校を出て、北海道拓殖銀行に就職した。
銀行員として働きながら小説を書いた。小樽は港湾労働者の町で、労働争議も頻発している。多喜二は労働運動に関わり、その現場を作品の材料にした。1929年、蟹工船を発表して一躍知られる。だがこの作品が問題視され、翌1930年に銀行を解雇された。
上京して日本プロレタリア作家同盟の中心になり、非合法下の日本共産党に入党する。以後は地下活動を続けながら書いた。当局の追及は厳しく、1933年2月20日、特別高等警察に検挙され、その日のうちに死亡した。拷問によるものとされる。29歳だった。遺体を引き取った母や同志が、全身の損傷を記録に残している。
作風
多喜二は、労働の現場をそのまま小説の中身にした。蟹工船(1929年)は、蟹工船——オホーツク海で蟹を獲り、船上で缶詰に加工する船——での過酷な労働と、労働者が団結していく過程を描く。船は法律上「工船」であって航船ではなく、工場法も航海法も適用されない。その法の空白のなかで、労働者が使い潰されていく仕組みが具体的に書かれる。
特徴的なのは、特定の主人公を置かない点である。名前を持つ個人ではなく、労働者の集団そのものが主体として書かれる。「おい、地獄さ行ぐんだで!」という冒頭の台詞も、誰の言葉かは示されない。個人の内面を追う私小説とは対極の方法である。
描写は即物的で、身体に起きることを直接書く。飢え、殴打、凍傷、脚気。心理の説明より、状況が人をどうするかを積み上げる。
取材も実地に行った。監督や労働者から聞き取り、資料を集めて書いている。作品は当時の検閲下で伏字だらけで刊行された。
作品
蟹工船(1929年)
代表作である。百ページ程度で読め、主題も明確で、入口に向く。伏字のある初出版を復元した校訂本もあり、検閲がどう働いたかを確認できる。
一九二八年三月十五日(1928年)
治安維持法による大量検挙と、警察による拷問を描いた作品である。この作品が、多喜二自身が特高に目をつけられる原因になったとされる。
不在地主(1929年)
小作争議を扱う。
党生活者(1933年、死後発表)
非合法の活動を続ける党員を描いた作品で、多喜二の最後の小説である。
文学史における立ち位置と影響
多喜二はプロレタリア文学を代表する。1920年代後半に高揚したこの運動のなかで、最も広く読まれた作品を残した。
その死は、文学が生命に関わる時代があったことを示す事実として語り継がれている。この時期、多くの作家が思想弾圧のもとで転向を強いられ、プロレタリア文学の運動そのものが1930年代半ばに壊滅した。
蟹工船は2008年前後に再び読まれ、ベストセラーになった。非正規雇用や労働条件の悪化が社会問題化した時期と重なったためである。80年前の作品が現代の状況の比喩として読まれるという受容のされ方は珍しい。
なお、プロレタリア文学は、政治的な主張が作品の質を規定するという批判を長く受けてきた。文学としての評価と、歴史的資料としての価値をどう切り分けるかについては、議論が続いている。著作権保護期間は満了しており、青空文庫で全文を読める。