心中天網島
- 作者
- 近松門左衛門
- 成立
- 1720
- 国
- 日本
- 時代
- 近世
概要
近松の世話物の到達点とされる作品である。1720年初演。心中物という点では曾根崎心中と同じだが、構造がまったく違う。
曾根崎心中の徳兵衛は独身で、外の悪意によって追い詰められた。こちらの治兵衛には妻子がいる。
紙屋の治兵衛は、遊女小春と深く馴染み、店を傾け、家をかえりみない。妻のおさんは二人の子を抱えて店を支えている。そして治兵衛には、小春を身請けしようとする金持ちの客という競争相手がいる。
この作品の中心にいるのは、実は妻のおさんである。おさんは、小春が治兵衛と別れようとしているのを知る。理由も察する。小春はおさんからの手紙を受け取り、治兵衛を死なせないでほしいという頼みを聞き入れて、心変わりを装っていた。
事情を知ったおさんは、小春が身請けされれば死ぬと考える。そして自分の着物を質に入れ、夫に小春を買い戻させようとする。 妻が、夫の相手の遊女を助けるために金を作る。
ここで働いているのが「義理」である。小春はおさんへの義理で身を引き、おさんは小春への義理で夫を差し出す。二人の女が互いに義理を果たそうとして、両方が破滅に向かう。 治兵衛はその真ん中で何も決められない。
題の「天網島」は心中の場所である大長寺のある網島に、天網——天の網は目が粗いが漏らさない——を掛けている。
文学史における評価と影響
日本の悲劇として最も高く評価される作品の一つにあたる。
評価の中心は義理の構造にある。悪人が一人もいない。全員が正しくあろうとしている。それなのに全員が破滅する。 誰かが折れれば助かるのに、義理がそれを許さない。この構図は、ギリシア悲劇と比較して論じられることも多い。
おさんの造形が、この作品を他の心中物から引き離している。夫を奪われた妻が、その相手を救おうとする。嫉妬でも諦めでもない。同じ立場に立たされた者どうしの了解がそこにある。近世の芝居で、女性がこれだけ主体的に動き、しかも状況を変えられない例は少ない。
治兵衛の弱さも繰り返し論じられる。治兵衛は何も決めない。妻に説得され、兄に叱られ、そのたびに従う。そして最後まで自分では選ばない。 主人公を英雄的に造形しないこの選択が、近代の読者に評価された。
近代以降、この作品は近松の代表作として位置づけられている。坪内逍遥が近松を文学として読み直して以来、繰り返し論じられてきた。
篠田正浩の映画『心中天網島』(1969年)が、この作品を現代の観客に届けた。黒衣が画面に映り込む演出で、人形浄瑠璃であることを見せながら実写で撮っている。
あらすじ
上の巻。紙屋の治兵衛は、曾根崎新地の遊女小春と深い仲になっている。二人はすでに心中を約束していた。
だが小春は、店に来た治兵衛の兄——武士に身をやつした孫右衛門——に対して、心中はしたくない、助けてほしいと語る。それを外で聞いていた治兵衛は激怒する。裏切られたと思い込む。
小春は治兵衛と縁を切ることになる。治兵衛は打ちのめされて帰る。
中の巻。治兵衛の家。妻のおさんが店を切り盛りしている。子が二人いる。治兵衛は塞ぎ込んでいる。
そこへ、小春が金持ちの客に身請けされるという知らせが入る。
おさんは真相を知っていた。小春が心変わりしたのは、おさんが送った手紙のためである。夫を死なせないでほしい、と頼んだのだった。小春はその義理を守って身を引いた。
そして、身請けされれば小春は死ぬ、とおさんは言う。義理を通した以上、他の男のものにはなれない。
おさんは夫に、小春を買い戻せと言う。自分の着物を出し、質に入れて金を作る。 治兵衛は動揺しながらも従う。
そこへ、おさんの父が来る。娘がこんな家にいることを許さず、おさんを無理に連れ帰ってしまう。 子どもたちが残される。
下の巻——道行。治兵衛と小春は、夜の町を歩く。
すでにどちらも逃げ場がない。二人は網島へ向かう。橋を次々に渡っていく。 天満橋、大江橋、御池通り。その一つひとつが、この世との別れとして語られる。
大長寺の裏手に着く。ここで治兵衛は、同じ場所で死ぬことをやめると言い出す。おさんへの義理があるためである。おさんは小春に、夫を返してほしいと頼んだ。同じ場所で死ねば、その約束を破ることになる。
そこで二人は離れて死ぬことにする。小春は自分の髪を切り、治兵衛も髪を落とす。すでに二人とも出家した身であり、夫婦ではないことにする。
治兵衛は小春を刺す。そして少し離れた場所に移り、水門の柱に襟を掛けて自らを吊る。
夜が明けて、二人が見つかる。天の網は目が粗いが、漏らすことはない、という趣旨の言葉で作品は閉じられる。