銀河鉄道の夜
- 作者
- 宮沢賢治
- 成立
- 1934
- 国
- 日本
- 時代
- 近代
概要
賢治の死の翌年、1934年に発表された童話である。生前は未発表で、繰り返し書き直された草稿だけが残された。決定稿が存在せず、版によって内容が異なる。孤独な少年ジョバンニが、夢のなかで銀河を走る列車に乗り、友人カムパネルラとともに旅をする。旅の終わりに、カムパネルラが川で溺れて死んだことを知る。賢治の代表作とされ、アニメーションや演劇に繰り返し翻案されてきた。
賢治は1924年ごろからこの作品を書き始め、生涯にわたって手を入れ続けた。四次にわたる大きな改稿が確認されており、初期形と最終形では登場人物も結末も異なる。初期形にはブルカニロ博士という人物が現れてジョバンニに教えを説くが、最終形ではこの人物が削られている。
賢治は1933年に37歳で死去した。死後、トランクから大量の草稿が発見され、そのなかにこの作品もあった。1934年に文圃堂版の全集で発表されている。
1922年に妹トシが24歳で死去したことが、この作品の背景として語られることが多い。賢治は妹の死の直後に「永訣の朝」を含む挽歌群を書き、翌年には樺太へ旅している。死んだ者はどこへ行ったのか、という問いが、この時期の作品に共通して現れる。
文学史における評価と影響
決定稿が存在しない作品である。賢治が生前に完成と認めなかったため、今日読まれている本文は、研究者が草稿から再構成したものにあたる。文庫によって採用する稿が違い、結末の直前でジョバンニが誰と会話するかも版により異なる。この事情を知らずに読むと、筋の飛躍や説明の欠落に戸惑うことになる。
児童文学として扱われることが多いが、書かれている中身は重い。他者のために自分を差し出すこと、死んだ者の行き先、そして「みんなの本当のさいわい」とは何かという問い。カムパネルラは同級生のザネリを助けて死ぬが、そのザネリは日頃ジョバンニをからかっていた者である。自己犠牲が単純な美談として置かれていない。
賢治の信仰していた法華経の世界観が背景にあると指摘される。同時に、作中には十字架やハレルヤの歌声が現れ、キリスト教の要素も混ざる。特定の宗派の教義を説く作品にはなっておらず、複数の信仰の像が併存している。
賢治は同時代のどの流派にも属さない。自然主義にも私小説にもモダニズムにも接続しにくく、中央の文壇と関わらないまま岩手で書き続けた。生前に売れた本はほとんどないが、死後に評価が定まり、現在では教科書に最も多く採録される作家の一人になっている。
著作権保護期間は満了しており、青空文庫で全文を読める。
あらすじ
ジョバンニは学校で孤立している。父が漁に出たまま長く帰らず、噂が立っている。母は病で床についており、ジョバンニは学校が終わると活版所で働き、その賃金で暮らしを支えていた。同級生のザネリたちは彼をからかうが、カムパネルラだけは加わらない。
その夜は銀河のお祭り、ケンタウル祭だった。ジョバンニは母のために牛乳をもらいに出るが、店に人がおらず、受け取れない。町には祭りに出かける子どもたちの声が満ちている。ジョバンニは一人、丘の上の草地に寝転がった。
天気輪の柱が光り、気がつくとジョバンニは列車の座席にいた。銀河を走る夜行列車である。向かいの席にはカムパネルラが座っていた。
列車は銀河の岸を進んでいく。白鳥の停車場では、化石を掘る学者が、この地層はかつて海だったと説明する。次の車両からは、鳥を捕まえて売る男が乗ってきた。りんどうの花が咲く野原、燐光を放つ川原、天の川の水を渡る渡し場。
途中の駅から、青年と幼い姉弟が乗り込んでくる。三人は乗っていた船が氷山にぶつかって沈み、救命ボートに乗れないまま海に投げ出されたのだという。ジョバンニは、自分とカムパネルラはどこまでも一緒に行こうと言う。
サウザンクロスの停車場に着くと、乗客のほとんどが降りていった。姉弟も青年も降りる。残ったのはジョバンニとカムパネルラだけになった。ジョバンニは、みんなの本当のさいわいのために何をすればいいのかを問う。カムパネルラは、あそこが僕のお母さんだと言って窓の外を指す。
そしてジョバンニが振り向くと、カムパネルラの席は空になっていた。
ジョバンニは丘の上で目を覚ます。町へ下りると、川に人が集まっていた。ザネリが舟から落ち、カムパネルラが飛び込んで助けたが、カムパネルラ自身が上がってこないのだという。カムパネルラの父は時計を見て、もう四十五分たったから助からないと告げる。ジョバンニは、その場で誰にも言えないまま立っている。