俘虜記
- 作者
- 大岡昇平
- 成立
- 1948-1951
- 国
- 日本
- 時代
- 現代
概要
捕虜になった自分自身を、冷静に分析した記録である。
大岡は、太平洋戦争末期、フィリピンのミンドロ島に召集された。マラリアに苦しみ、部隊からはぐれ、そしてアメリカ軍の捕虜になった。 この作品は、その体験を、感傷を排して書いた連作にあたる。
冒頭の一篇「捉まるまで」が、最もよく知られる。山中で、大岡は一人のアメリカ兵と至近距離で出くわす。撃とうと思えば撃てた。だが大岡は、引き金を引かなかった。なぜ自分は、目の前の敵兵を撃たなかったのか。 大岡は、その自分の心理を、冷徹に分析していく。
若い兵だったから撃たなかったのか。生きて捕虜になりたかったからか。大岡は、自分の行動の理由を、いくつも挙げては検討する。そこには、英雄的なものも、道徳的なものもない。ただ、極限の状況に置かれた一人の人間の心が、顕微鏡で覗くように観察される。
捕虜収容所での生活も、同じ筆致で描かれる。日本兵の捕虜たちが、収容所という奇妙な社会で、どう振る舞うか。生き延びた者の後ろめたさ、権力への迎合、卑小な争い。大岡は、それらを、他人事のようにではなく、自分をも含めて突き放して見つめる。
文学史における評価と影響
日本の戦争文学の代表作であり、大岡の出発点にあたる。後の野火やレイテ戦記は、この体験の上に書かれた。
この作品の独自性は、徹底した自己分析の方法にある。大岡は、フランス文学(スタンダール)を研究し、心理分析の手法を身につけていた。その知的な目を、極限に置かれた自分自身に向けた。戦場の恐怖や感動を情緒的に書くのではなく、自分の心の動きを、対象として冷静に解剖する。
「なぜ敵を撃たなかったか」という問いが、この作品の核心にあたる。大岡は、その問いに、簡単な答えを与えない。愛でも憎しみでもなく、複数の心理が絡み合った、割り切れないものとして提示する。人間の行動が、いかに理由づけしがたいかを、大岡は見つめた。
捕虜という主題も新しかった。当時の日本では、捕虜になることは最大の恥とされた。生きて虜囚の辱めを受けず——その規範のなかで、実際に捕虜になった者の内面を、これほど正直に書いた作品はなかった。
大岡の冷静で分析的な文体は、戦後文学に大きな影響を与えた。感傷や告発に流れず、事実と心理を突きつめる姿勢は、戦争を語る一つの規範になった。
読売文学賞を受賞し、大岡を戦後文学の中心的な作家として確立させた作品にあたる。
内容
1944年。大岡昇平は、三十五歳で召集され、フィリピンのミンドロ島に送られる。すでに戦局は絶望的で、部隊は補給を断たれていた。
大岡はマラリアに罹り、高熱に苦しむ。やがて米軍が上陸し、部隊は壊走する。 大岡は、病んだ体で、一人、山中をさまようことになる。
「捉まるまで」。山をさまよう大岡は、ある時、藪の向こうに、若い一人のアメリカ兵の姿を認める。銃を構えれば、撃てる距離だった。 相手は、こちらに気づいていない。
だが、大岡は、撃たなかった。
なぜ撃たなかったのか。大岡は、その瞬間の自分の心理を、後から執拗に分析する。 相手が若かったからか。もう戦う気力がなかったからか。撃てば自分も見つかって殺されると思ったからか。それとも、生きて捕虜になりたいという願いが、心の底にあったからか。
大岡は、どの理由も、決定的ではないと考える。いくつもの心理が、複雑に絡み合っていた。人が極限で下す行動は、単純な理由には還元できない。 その割り切れなさを、大岡はそのまま書きとめる。
やがて大岡は、意識を失って倒れているところを、米軍に捕らえられる。 捕虜になったのである。
収容所。大岡は、レイテ島の捕虜収容所へ送られる。そこには、多くの日本兵の捕虜がいた。
大岡は、収容所という特殊な社会を、冷静に観察する。生き延びた捕虜たちは、複雑な感情を抱えている。 生き残った後ろめたさ。故国に知られることへの恐れ。そして、収容所のなかでも生まれる、権力や序列をめぐる、卑小な争い。
大岡は、それらを、自分を含めて突き放して見つめる。捕虜たちが、米軍の権力にどう迎合し、仲間同士でどう振る舞うか。人間の弱さと小ささが、飾らずに描かれる。
収容所では、日々の労働や、規則や、退屈な時間が流れる。戦場の極限を生き延びた者たちの、奇妙に間延びした生。 大岡は、その日常のなかに、人間の本性が露わになる瞬間を、こまやかに捉えていく。
英雄も、感動も、教訓もない。ただ、戦争という極限に置かれた一人の人間が、自分と他人を、どこまでも正直に、冷静に見つめ続ける。 その知的な誠実さによって、この記録は、戦争文学の一つの達成となった。