青猫
- 作者
- 萩原朔太郎
- 成立
- 1923
- 国
- 日本
- 時代
- 近代
概要
倦怠と憂鬱にひたされたけだるい幻想の詩集である。
朔太郎は第一詩集月に吠えるで口語自由詩に鋭い神経の震えを刻んだ。この第二詩集『青猫』ではその神経がより内向きの深い倦怠へと沈んでいく。
題の「青猫」は大きな都会の空に映る青白い電気の光を猫の姿に見立てたイメージである。華やかな都会に憧れながらそこに何も見出せないけだるい憂鬱が詩集全体を覆っている。
代表作「恋を恋する人」「ぎやまんの菊」などにその気分が表れる。都会の群集のなかに身を置いてもそこにあるのは満たされぬ倦怠だけである。
朔太郎の詩の言葉は独特のやわらかな響きを持つ。病んだ神経、けだるい肉体、青白い幻想。それらが口語の自由なリズムにのって夢のようにうたわれる。
近代人の都会のなかの孤独と倦怠をこれほど繊細にうたった詩集は当時なかった。月に吠えると並ぶ朔太郎の代表作にあたる。
文学史における評価と影響
萩原朔太郎の代表詩集の一つであり、日本近代詩の重要な達成とされる。
第一詩集月に吠えるは鋭敏な神経の恐怖と生理をうたった。この『青猫』はより内向的なけだるい倦怠の世界へと沈潜する。 詩人の関心は外界の刺激への反応から、心の奥の名づけがたい憂鬱へと移っている。
主題は近代都市に生きる者の倦怠である。都会に憧れその群衆のなかに身を置きながら、朔太郎はそこに満たされぬ空虚を感じる。華やかさの裏のけだるい孤独というこの気分は、近代人の心性を鋭く先取りしていた。
音楽的な口語自由詩の完成という点でも重要にあたる。朔太郎は話し言葉のやわらかな響きとリズムを生かして夢幻的な世界を立ち上げた。日本語の口語でこれほど繊細な抒情を実現した詩人はそれまでいなかった。
朔太郎は「日本近代詩の父」と呼ばれる。その口語自由詩の達成は後の詩人たちの出発点となった。 『青猫』のけだるい憂鬱の美学は、とりわけ後の抒情詩に深い影響を残している。
内容
詩集『青猫』は萩原朔太郎が第一詩集月に吠えるに続いて刊行した第二詩集である。
題名の「青猫」は独特のイメージにもとづく。朔太郎は大都会の夜空にぼんやりと映る青白い電線の光——電気の放電の光を、うずくまる一匹の青い猫の姿に見立てた。その青白くけだるい光のイメージが詩集全体の気分を象徴している。
詩集を貫くのは深い倦怠と憂鬱である。
朔太郎は都会に強く憧れる。「私はいつも都会をもとめる」と彼はうたう。にぎやかな群衆、華やかな灯り。だがその都会の只中に身を置いても朔太郎の心は満たされない。あるのはなすすべもないけだるい孤独と、名づけようのない憂鬱だけである。
「恋を恋する人」では恋そのものではなく、恋に憧れる気分の宙づりの倦怠がうたわれる。実体のない青白い願望がやわらかな言葉で描かれる。
詩集には病んだ神経、疲れた肉体、悪夢のような幻想が繰り返し現れる。朔太郎は健やかな生の輝きではなく、生の裏側にひそむけだるさや憂いを好んでうたった。
その言葉は月に吠えるの鋭さとは異なり、もっとやわらかくもっと夢幻的である。 口語のなめらかな響きとリズムにのって、青白い幻想の世界がゆらゆらと立ち上がる。
近代の都会に生きる者の満たされぬ心。憧れと倦怠と孤独。それらを比類ない繊細さでうたったこの詩集は、日本近代詩の独自の達成となった。