西脇順三郎

原綴
Nishiwaki Junzaburō
生没
1894–1982
出身
新潟県小千谷(現・新潟県小千谷市)
日本
時代
近代

生涯

1894年、新潟県小千谷(現・小千谷市)に生まれた。慶應義塾大学に学び、はじめは英語で詩や評論を書いた。1922年からイギリスのオックスフォード大学に留学し、当時ヨーロッパで起こっていた前衛的な文学や芸術に直接触れた。

帰国後は慶應義塾大学で英文学を教えながら、詩人として活動した。ヨーロッパのモダニズム、とりわけシュルレアリスム(現実を超えた次元を、夢や無意識のイメージで表そうとする芸術運動)を日本に紹介した。評論『超現実主義詩論』は、その理論を日本にはじめて本格的に説いたものとして、若い詩人たちに大きな影響を与えた。

日本語による最初の詩集『Ambarvalia(アムバルワリア)』を発表したのは四十歳のときだった。以後、詩と英文学研究の両方で長く活動し、ノーベル文学賞の候補にも挙がった。1982年に没した。

作風

西脇の詩は、知的で、無国籍な広がりをもつ。ギリシャ・ローマの古典から、ヨーロッパ近代の文学、日本や中国の古典まで、あらゆる時代と地域のイメージが、一つの詩のなかで自在に結び合わされる。特定の風土や感情に根ざさない、乾いた明るさが特徴である。

「(覆された宝石)のやうな朝/何人か戸口にて誰かとささやく/それは神の生誕の日」と始まる詩「天気」のように、日常の朝を、思いがけないイメージで飾り、新鮮な驚きを呼び起こす。感傷を排し、知性と機知によって世界を新しく見せることが、西脇の詩法である。

戦後の代表作『旅人かへらず』では、一転して、日本の風土と東洋的な無常観に根ざした抒情へ向かった。近代の知性と、東洋の古典的な感受性とが、西脇の詩のなかで交わっている。

作品

『Ambarvalia(アムバルワリア)』(1933年)

西脇が日本語で発表した最初の詩集である。題は古代ローマの農耕の祭りの名に由来する。ギリシャ・ローマ古典の世界を、モダニズムの手法で描いた詩を集め、日本のモダニズム詩の記念碑とされる。

『旅人かへらず』(1947年)

戦後に発表した長篇詩である。日本の風景と、人の世のはかなさへの思いを、東洋的な無常観とともにうたった。西洋のモダニズムから出発した西脇が、日本の抒情へ回帰した作品にあたる。

英文学者としては、モダニズム詩の理論を論じた著作も多く残した。

文学史における立ち位置と影響

西脇は、日本のモダニズム詩を主導した詩人として文学史に名を残す。ヨーロッパの前衛詩を、翻訳や評論を通して日本に紹介するだけでなく、みずからの詩の実作でそれを日本語に定着させた点に、その功績がある。

その知的で無国籍な詩風は、感傷的な抒情が主流だった日本の近代詩に、まったく新しい可能性を開いた。西脇に学んだ詩人は多く、戦後、鮎川信夫や田村隆一ら「荒地」の詩人たちが切り開いたモダニズム詩の広がりも、西脇を一つの源としている。

英文学者としての深い教養に支えられた西脇の詩と詩論は、日本の詩を世界の詩の動きへとつなぐ役割を果たした。国境を越えた知性の詩人として、独自の位置を占めている。

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