瀧口修造
- 原綴
- Takiguchi Shūzō
- 生没
- 1903–1979
- 出身
- 富山県東礪波郡(現・富山県富山市)
- 国
- 日本
- 時代
- 近代
生涯
1903年、富山県に生まれた。慶應義塾大学で西脇順三郎に学び、その影響でヨーロッパの前衛的な文学と芸術に目を開かれた。
早くからシュルレアリスムに傾倒した。シュルレアリスムとは、フランスの詩人ブルトンブルトンが唱えた芸術運動で、夢や無意識といった、理性では制御できない領域から、新しいイメージを生み出そうとするものである。瀧口はブルトンの理論を翻訳・紹介し、日本におけるこの運動の推進者となった。
1941年、戦時下に、前衛芸術を危険思想とみなす当局によって検挙され、一時、拘留された。戦後は美術評論家として活動し、若い前衛芸術家たちの集まりを支えた。とりわけ、美術・音楽・詩の垣根を越えて実験を試みた芸術家集団「実験工房」を後見し、そこからは作曲家の武満徹(たけみつとおる)らが育った。実験的な芸術を試みる若者の拠り所となり、1979年に没した。
作風
瀧口の詩は、意味の筋道よりも、言葉が呼び起こすイメージの連鎖を重んじる。理性による構成を離れ、無意識から浮かび上がる言葉を、そのまま定着させようとした。フランスのシュルレアリスムが用いた自動記述(意識の統制を外して、浮かぶままに書く方法)に近い試みである。
批評家としては、絵画や造形芸術に対する鋭い感受性を発揮した。難解な理論を振りかざすのではなく、作品そのものに詩人の目で向き合い、その本質を独特の言葉ですくい取った。瀧口の美術評論は、それ自体が一つの詩的な文章になっている。
言葉と造形の境を越えて活動した点も特徴である。詩を書き、批評を書き、後年はみずからも、絵具をこすりつけて偶然の模様を得る技法や、紙を焦がして描く手法による、言葉によらない造形作品を制作した。理性で構成しない偶然のイメージという点で、それは詩の探究と地続きだった。芸術の諸領域を横断する自由さが、瀧口の身上である。
作品
『妖精の距離』(1937年)
瀧口の初期の詩集である。シュルレアリスムの手法による、イメージの自由な連鎖をこころみた作品を集める。日本のシュルレアリスム詩を代表する詩集とされる。
美術評論では、ミロやダリ、そして日本の前衛芸術家について、多くの文章を残した。とりわけ、みずからが支えた実験的な芸術家集団の活動を通して、その批評は戦後日本の前衛芸術の理論的な支柱となった。
文学史における立ち位置と影響
瀧口は、日本のシュルレアリスム運動の中心人物として、文学史と美術史の両方に名を残す。ブルトンの理論を日本に伝え、詩と批評の実践によってこの運動を根づかせた点に、その功績がある。
その影響は、文学よりもむしろ戦後の美術の分野で大きかった。瀧口を慕って集まった若い芸術家たちは、日本の前衛美術の担い手となった。瀧口は、権威ではなく助言者として、その活動を静かに支えた。
詩と美術批評を貫いて、理性を超えたイメージの世界を探究し続けた瀧口の仕事は、日本における前衛芸術のもっとも純粋な体現の一つとされている。