レ・マンダラン
- 作者
- シモーヌ・ド・ボーヴォワール
- 成立
- 1954
- 国
- フランス
- 時代
- 20世紀以降
概要
戦後フランスの左翼知識人たちの政治と愛の苦悩を描いた長篇小説である。
ボーヴォワールは、第二の性の思想家として知られる。この『レ・マンダラン』は、その彼女の代表的な長篇小説にあたる。 フランス最高の文学賞、ゴンクール賞を受賞した。
題の「マンダラン」は、もともと中国の高級官僚を指す言葉だがここでは、現実から遊離した「知識人」を、やや皮肉をこめて指している。
物語の舞台は第二次世界大戦が終わった直後のフランスである。ナチス占領からの解放の喜びのなかで、左翼の知識人たちは、新しい社会の実現に、大きな希望を抱いていた。 だが冷戦が始まり、ソ連の実態(強制収容所)が明らかになるにつれ、彼らは、政治的な立場をめぐって、深く引き裂かれていく。
主な人物は作家アンリ、思想家デュブルイユ、そして精神分析医の女性アンヌである。彼らのモデルはカミュ、サルトル、そしてボーヴォワール自身だとされ、実際の戦後知識人の姿が、色濃く投影されている。
彼らは政治的な理想と現実のあいだで苦悩し、同時にそれぞれの愛の問題にも、直面する。とりわけアンヌのアメリカ人作家との実らぬ恋が、切実に描かれる。 政治と愛、理想と現実のはざまで揺れる、戦後知識人の肖像である。
文学史における評価と影響
ボーヴォワールの小説の代表作であり、戦後フランスの知識人の姿を活写した記録として、高く評価される。ゴンクール賞受賞作にあたる。
この作品の意義は戦後知識人の政治的・思想的な苦悩を、内側から描いた点にある。ナチス占領からの解放の高揚から、冷戦下の幻滅へ。左翼の理想と、ソ連の現実(強制収容所の存在)とのあいだで、知識人たちは、いかに立場を選ぶべきか、苦しみ抜く。 その思想的な葛藤が、生々しく記録されている。
実在のモデルがこの作品の関心を高めてきた。登場人物はサルトル、カミュ、ボーヴォワール自身をモデルにしているとされる。とりわけサルトルとカミュの政治的な対立と決別は、実際の思想史上の大事件であり、それがこの小説に反映されている。 戦後フランス思想界の貴重な証言でもある。
主題は政治と愛の両面における、選択の苦悩である。理想と現実、行動と無力感のあいだで、知識人は、いかに生きるべきか。同時に彼らはそれぞれの愛のなかでも満たされぬ思いを抱える。 公的な苦悩と、私的な苦悩が、重ね合わされる。
女性の視点も重要である。精神分析医アンヌ(ボーヴォワール自身に近い)を通して、自立した女性が、知識人の世界と、恋愛のなかで直面する問題が、描かれる。第二の性の思想家による、その実践的な小説化として、読まれてきた。
あらすじ
第二次世界大戦が終わった、直後のパリ。ナチス・ドイツの占領から解放されたフランスは、喜びと、新しい時代への希望に、沸いていた。
物語の中心にいるのはレジスタンス運動にも関わった、左翼の知識人たちである。思想家のデュブルイユ、その妻で精神分析医のアンヌ、そして新聞を主宰する若い作家アンリ。 彼らは、解放の高揚のなかで、社会主義的な理想を掲げ、新しいフランスを築こうと、意気込んでいた。
だが彼らの希望はしだいに厳しい現実に、突き当たっていく。
冷戦が始まり、世界は、アメリカとソ連の二つの陣営に分かれていく。左翼知識人たちはソ連(共産主義)を支持すべきか、それとも距離を置くべきかをめぐって、引き裂かれる。とりわけソ連に、強制収容所(ラーゲリ)が存在するという情報が伝わったとき、彼らは、深刻な選択を迫られる。
その事実を、公表すべきか。公表すれば、資本主義陣営を利することになる。だが隠せば、真実に背くことになる。理想とする社会主義のその中心にある不正を前にして、思想家デュブルイユと、作家アンリは、対立し、苦悩する。(この対立は、実際のサルトルとカミュの決別を、反映しているとされる。)
政治的な理想と、その裏切りとのあいだで、知識人たちは、無力感と幻滅を、深めていく。
一方物語は彼らの私的な生活と、愛の問題も、こまやかに描く。
とりわけ精神分析医のアンヌの物語が、切実である。夫との関係が長年の歳月のなかで、情熱を失っていくなか、アンヌは、講演で訪れたアメリカで、一人の作家ルイスと、激しい恋に落ちる。だが大西洋を隔てた二人の愛は、それぞれの生活と、乗り越えがたい距離の前に、実ることがない。 アンヌは、満たされぬ思いと、老いの予感のなかで、苦しむ。
政治における理想の挫折と、愛における満たされなさ。公的な世界でも私的な世界でも、知識人たちは、思うにまかせぬ現実に、直面する。
それでも彼らは絶望に沈みきることなく、それぞれの仕方で、生き続けようとする。戦後という時代を生きた知識人たちの政治と愛をめぐる苦悩の全体を描き切って、この長篇は閉じられる。