ルコント・ド・リール
- 原綴
- Leconte de Lisle
- 生没
- 1818–1894
- 出身
- フランス領レユニオン島サン=ポール
- 国
- フランス
- 時代
- 19世紀
生涯
1818年、インド洋のフランス領レユニオン島に生まれた。父は軍医で、島には奴隷制が残っていた。青年期にフランス本国へ渡り、法律を学ぶ。
1848年の二月革命に共和主義者として加わり、奴隷制廃止の運動にも関わった。しかし革命が挫折すると政治から離れ、詩に沈潜していく。長く貧しい生活を送り、翻訳や家庭教師で生計を立てた。
やがてその詩論が若い詩人たちを引きつけ、パリの自宅に彼らが集まるようになる。この集まりが高踏派(パルナス)の中心になった。晩年はアカデミー・フランセーズの会員となり、ユゴーの後任の席に就いている。1894年に没した。
作風
ルコント・ド・リールが退けたのは、ロマン主義の詩人が自分の感情を直接うたうことだった。詩人が「私」を語り、涙や情熱を吐き出す——それを弱さとみなす。
代わりに掲げたのが、客観性と完成度である。主題は古代ギリシャ、インドの神話、聖書の世界、そして熱帯の自然や野生の動物に置かれる。詩人はそこに感情を差し挟まず、彫刻を刻むように、正確で硬質な言葉で対象を描き出す。韻律は厳格に守られる。
その世界観は暗い。文明も宗教も滅び、残るのは無だけだという悲観が、冷たい描写の底を流れている。
作品
『古代詩集』(Poèmes antiques、1852年)で世に出た。ギリシャ神話やインドの叙事詩に取材した詩を収め、序文で自らの詩論を示している。
『蛮族詩集』(Poèmes barbares、1862年)が代表作とされる。「ジャガーの夢」「象たち」など、熱帯の動物を描いた詩がよく知られる。獲物を待つ獣を、感情を交えず克明に描くその筆致は、しばしば版画や彫刻にたとえられた。
ほかにホメロスやアイスキュロスなど、古代ギリシャ文学の翻訳を数多く残している。
文学史における立ち位置と影響
ルコント・ド・リールは、ロマン主義と象徴主義の間に位置する高踏派(パルナス)の中心人物である。1866年の詞華集『現代高踏詩集』に若い詩人たちが集い、そこにはヴェルレーヌやマラルメの名もあった。
感情の直接的な表出を退け、言葉の彫琢を最上とするその姿勢は、次の世代に受け継がれる。ただし方向は分かれた。マラルメらは客観性ではなく、言葉が呼び起こす効果そのものへ進み、象徴主義を開く。高踏派は、ロマン主義から象徴主義への転回を用意した中継点として位置づけられている。