三人姉妹
- 原題
- Tri sestry
- 作者
- アントン・チェーホフ
- 成立
- 1901
- 国
- ロシア
- 時代
- 銀の時代
概要
1901年1月、モスクワ芸術座で初演された四幕の戯曲である。チェーホフの後期の代表作の一つで、桜の園の三年前にあたる。
舞台は、名を明かされない地方都市。プローゾロフ家の三姉妹——オーリガ、マーシャ、イリーナ——と兄アンドレイが暮らしている。亡くなった父が旅団長で、一家は十一年前にモスクワからこの町に移ってきた。
三姉妹は、モスクワに帰ることを願い続ける。「モスクワへ、モスクワへ」という言葉が、作品を通じて繰り返される。だが、その願いはついに実現しない。誰も切符を買わず、荷造りもしない。モスクワは、行くべき現実の場所ではなく、失われた過去と、来ない未来の象徴になっている。
事件らしい事件は起きない。四年ほどの歳月が流れ、その間に姉妹はそれぞれ何かを失い、日常に沈んでいく。幸福を待ち続けるうちに、待つことしかできなくなる過程が描かれる。
モスクワ芸術座のために書かれた。この劇団は、演出家スタニスラフスキーが率い、チェーホフの作品を上演することで名声を得た。前作『かもめ』『ワーニャ伯父さん』に続く新作として、劇団の俳優を念頭に置いて書かれている。妻となる女優オリガ・クニッペルが、マーシャを演じた。
当時のチェーホフは、結核が進行していた。療養のためヤルタに住み、モスクワの劇団と離れて執筆した。登場人物がモスクワに帰りたがって帰れない状況は、モスクワを離れて暮らす作者自身の境遇とも重なる。
初演の評価は、必ずしも高くなかった。何も起こらない、暗い、という反応があった。作品の真価が認められるのは、その後の時代である。
チェーホフは、これを喜劇に近いものとして構想していたが、スタニスラフスキーは深刻な悲劇として演出した。この解釈の食い違いは、チェーホフ劇の上演に一貫してつきまとう問題である。
文学史における評価と影響
近代演劇の転換を示す作品の一つとされる。19世紀の劇が、明確な葛藤と事件の解決を軸にしていたのに対し、この作品では、決定的な出来事が起きない。人物は行動せず、待ち、語り、そのうちに時間が過ぎる。筋の進行ではなく、雰囲気と時間の経過そのものが劇を成り立たせる。
会話が噛み合わないことも、チェーホフ劇の特徴として現れる。ある人物が真剣な話をしている隣で、別の人物が無関係な独り言を言う。人物たちは、それぞれの思いに閉じこもり、互いに聞いていない。この技法は、後のベケットをはじめとする現代演劇に受け継がれた。
主題としては、実現しない希望と、それでも続く生が扱われる。三姉妹は教養があり、感受性に富み、より良い人生に値する。だが、その人生は与えられない。なぜ幸福が得られないのかは説明されず、誰の責任でもない。 悪人はおらず、俗物のナターシャでさえ、ただ自分の生を生きているだけである。この原因の特定できない不全感が、20世紀の観客に強く訴えた。
同時に、作品は絶望に閉じない。イリーナは働くと決め、オーリガは生きていこうと語る。答えのないまま生き続けるという選択が、最後に置かれる。この姿勢をどう受け取るかで、上演の色合いが変わる。
日本でも大正期から上演され、新劇の重要な演目であり続けている。訳も複数ある。
あらすじ
第一幕。イリーナの命名日。末娘イリーナは二十歳で、希望に満ちている。働くことこそ人生の意味だと信じ、モスクワへの帰還を夢見る。長女オーリガは教師として働き、疲れをためている。次女マーシャは、若くして中学教師クルイギンと結婚したが、その平凡さに幻滅している。町に駐屯する砲兵隊の将校たちが出入りし、一家に活気を添える。中でも中隊長ヴェルシーニンは、モスクワ出身で、未来の幸福について雄弁に語る。
第二幕。一年半後。兄アンドレイは、大学教授になる夢を捨て、地方の役所の書記に甘んじている。俗っぽい娘ナターシャと結婚し、賭博で借金を重ねている。マーシャとヴェルシーニンの間には、互いに家庭がありながら、愛情が芽生えている。イリーナは電信局で働き始めるが、理想と違う単調な労働に疲れている。ナターシャが家の実権を握り始め、姉妹は少しずつ家の中で居場所を失っていく。
第三幕。数年後。町で大火事があり、その夜が舞台になる。ナターシャは完全に家を支配し、老いた乳母を追い出そうとし、イリーナの部屋を自分の子のために明け渡させる。オーリガは女学校の校長になるが、望んだ職ではない。マーシャは姉妹に、ヴェルシーニンを愛していると打ち明ける。イリーナは、モスクワへ行く望みが薄れる中、自分を愛してくれる男爵トゥーゼンバフとの結婚を、愛のないまま受け入れようとする。誰もが、望んだものではない何かで手を打とうとしている。
第四幕。砲兵隊が町から移駐することになり、将校たちが去る。ヴェルシーニンはマーシャと別れる。二人の別れは、周囲の目のある中での短い抱擁だけで済まされる。
イリーナとトゥーゼンバフの結婚が翌日に迫っている。だがその朝、トゥーゼンバフは、些細な諍いから将校ソリョーヌイと決闘し、撃たれて死ぬ。イリーナは、愛してさえいなかった相手を失い、それでも生きて働くと決める。
三姉妹は舞台に残される。軍楽隊の音が遠ざかっていく。なぜ生きるのか、この苦しみに意味があるのか、いつか分かる日が来るのかもしれないという趣旨の言葉を、姉妹は口々に語る。答えは出ない。オーリガが「いつか分かる、それまで生きていかなければ」と語るところで幕が下りる。