野ざらし紀行
- 作者
- 松尾芭蕉
- 成立
- 1685頃
- 国
- 日本
概要
芭蕉が初めて長い旅に出て、その道中を俳句とともに綴った紀行文である。
芭蕉は江戸で俳諧の宗匠として身を立てていた。だがある年の秋、芭蕉は住み慣れた江戸を捨てるように、西へ向かう旅に出る。その旅の記録が、この『野ざらし紀行』にあたる。
題は冒頭の一句に由来する。「野ざらしを心に風のしむ身かな」——旅の途中で行き倒れて骸を野にさらすことも覚悟のうえで、秋風の身にしむ旅に出る、という悲壮な決意である。
芭蕉は東海道を上り、故郷の伊賀上野に帰る。そこで亡き母の白髪を前に涙し、句を詠む。 さらに京、大津、名古屋をめぐり、行く先々で自然や人との出会いを、俳句と短い文章で書きとめていく。
道端に捨てられた幼子を見て心を痛める場面や、富士川のほとりの嘆きなど、旅のなかで芭蕉が見た人の世の無常と、自然の風景とが、静かに重ねられる。
まだ後年の『おくのほそ道』ほど円熟してはいないが、旅に生き、旅に死ぬという芭蕉の生き方の出発点を示す作品にあたる。
文学史における評価と影響
松尾芭蕉の最初の本格的な紀行文であり、後の紀行文学の出発点とされる。
この作品の意義は、芭蕉が「旅する俳人」として生き始めた点にある。それまで芭蕉は江戸で点者(俳諧の指導者)として安定した地位を築いていた。だがこの旅を境に、芭蕉は定住を捨て、旅のなかに俳諧の道を求めるようになる。「野ざらし」の覚悟は、その生き方の宣言だった。
俳句と散文を組み合わせた「俳文」の形式が、ここで試みられている。旅の情景を短い文で描き、その感興を一句に結晶させる。この文章と句の交響は、後のおくのほそ道でいっそう完成される。
主題は旅と無常である。芭蕉は道中で、亡き母を悼み、捨て子に涙し、人の世のはかなさを見つめる。その無常の感覚が、秋から冬、そして春へと移る自然の景色に、繊細に重ねられる。
まだ後年の枯淡の境地には至らず、技巧や気負いも残るとされる。 だが、旅を栖(すみか)とする芭蕉の漂泊の生涯は、この一巻から始まった。その原点として、繰り返し読まれてきた作品にあたる。
内容
貞享元年(1684年)の秋。芭蕉は江戸の庵を出て、西へ向かう旅に立つ。門人の千里を伴っての旅である。
旅立ちにあたって、芭蕉はこう詠む。「野ざらしを心に風のしむ身かな」。 旅の途中で命尽き、骸を野にさらすことになるかもしれない。その覚悟を胸に、秋風のしみる旅へ出るのだ、という悲壮な一句である。
芭蕉は東海道を上っていく。富士川のほとりでは、捨てられて泣く幼い子に出会う。芭蕉は袂の食べ物を投げ与えるが、救うことはできない。この子の不幸は天命なのか、親を恨むべきなのか——芭蕉は、人の世の非情さに、深く心を痛める。
やがて芭蕉は、故郷の伊賀上野にたどり着く。そこには、すでに亡くなった母がいた。兄が形見として見せた、母の白髪。芭蕉はそれを手に取り、涙にくれる。「手にとらば消えん涙ぞあつき秋の霜」——手に取れば、熱い涙で消えてしまいそうな、秋の霜のような白髪よ、と。
旅はさらに続く。芭蕉は大和、吉野、山城、近江をめぐり、京に入る。そして美濃・大垣を経て、名古屋へと向かう。名古屋では、地元の俳人たちと連句の会を催し、後に『冬の日』として結実する、清新な句を巻く。
行く先々で、芭蕉は自然の風景と向き合い、句を詠む。枯野、時雨、雪、そして梅。 秋に始まった旅は、冬を越え、やがて春を迎える。
翌年、芭蕉は再び故郷の伊賀で新年を迎え、東海道を通って江戸へと帰り着く。
道中で見た人の世の無常と、移りゆく四季の景色。それらを俳句と散文に綴ったこの紀行は、旅に生きる俳人・芭蕉の最初の一歩を刻んでいる。