にごりえ
- 作者
- 樋口一葉
- 成立
- 1895
- 国
- 日本
- 時代
- 近代
概要
四十ページほどの短篇である。舞台は銘酒屋——酒を出す名目で女を置いていた店——が並ぶ町にあたる。
主人公お力は、その店で最も客を集める女である。明るく、口が達者で、客をあしらうのが巧い。 だが一人になると塞ぎ込み、突然店を飛び出して往来に立ち尽くしたりする。
もう一人は源七。もとは布団屋の主人で、お力に入れあげて店も財産も失った。いまは妻子と長屋で暮らし、日雇いで食いつないでいる。 それでもお力を忘れられない。
そして結城朝之助という金のある客が、お力に本気で関わろうとする。
この小説の中心は、お力が自分の来歴を語る場面である。祖父が学者だったが零落し、父も貧しいまま死んだ。自分は生まれたときからこうなることが決まっていたという趣旨のことを、お力は語る。そして、この道から出られないとも言う。
結末は説明されない。祭りの夜、お力と源七の死体が見つかる。二人とも刃物による傷である。心中したのか、源七が殺して自害したのか、書かれていない。 近所の者が噂するだけで、真相は示されないまま終わる。
一葉二十三歳の作品にあたる。この年、一葉はたけくらべをはじめとする代表作を次々に発表し、翌年に死んだ。
文学史における評価と影響
一葉の作品のなかで最も暗く、最も評価が高い一篇とされる。
達成の中心はお力の造形にある。客の前では明るく振る舞い、一人になると崩れる。その落差が説明されず、行動として書かれる。 突然店を出て往来に立ち、自分でもなぜここにいるのか分からない、と考える場面がその代表にあたる。
貧困が個人の努力で抜けられないものとして書かれている。お力は自分の家系をたどり、そこから出られないと語る。当時の日本の小説で、これほどはっきり階層の固定を書いたものは少ない。
源七の妻の造形も繰り返し論じられる。夫を奪われ、貧窮し、子を抱えている。お力を憎むが、同時に自分がどうにもできないことも知っている。 一葉は、二人の女を対立させずに、両方の行き場のなさを並べて書いた。
結末を書かないことが、この作品の方法にあたる。真相を確定させれば、それは事件の話になる。確定させないことで、なぜそうなったかを読者が引き受けることになる。
森鴎外らが一葉を賞賛した際、この作品も高く評価された。近代以降も、日本の短篇小説の代表として繰り返し挙げられている。
あらすじ
銘酒屋「菊の井」。店先で女たちが客を呼び込んでいる。なかで最も人気があるのがお力である。
お力は客あしらいが巧い。冗談を言い、酒を注ぎ、その場を明るくする。だが客が帰ると、急に口をきかなくなる。
源七という男がいる。もとは布団屋の主人で、店を構え、職人を使っていた。お力に通ううちに、金も店も失った。いまは妻のお初と息子の太吉と長屋に住み、日雇いで働いている。
源七は今もお力のもとへ来ようとする。金がないので追い返される。それでも来る。
家では妻のお初が内職をしている。夫が働かないことも、その理由も知っている。 子どもは腹を空かせている。お初は夫を責めるが、責めたところで何も変わらない。
ある夜、お力が突然店を出る。提灯もつけずに歩き、往来の真ん中で立ち止まる。自分がなぜここにいるのか、これからどうなるのか、考えても分からない。 そしてまた店に戻る。
結城朝之助という客がお力に興味を持つ。金があり、他の客とは違う扱い方をする。お力に、なぜこんなところにいるのかと問う。
お力は自分の来歴を語る。祖父は学者だったが零落し、父は職人になったが貧しいまま死んだ。母も苦労して死んだ。自分は幼い頃から働きに出され、この店に来た。そして、自分はこの道から出られない、と言う。
祭りの日。源七の家では、お初が夫に愛想を尽かして子を連れて出ていく。源七は一人になる。
その夜、町は祭りで賑わっている。
翌朝、お力と源七の死体が見つかる。お力は背中から斬られており、逃げようとしたところを追われたらしい。源七は喉を突いている。
近所の者が噂する。心中だったのか、無理心中だったのか。お力が承知していたのか。答えは出ない。 二人が同じ寺に葬られたことが記され、小説は終わる。