本居宣長

作者
小林秀雄
成立
1977
日本
時代
現代

概要

批評家・小林秀雄が十余年をかけて書き上げた、畢生の大作である。

小林秀雄様々なる意匠で近代批評を切り開き、無常という事で歴史と伝統へ向かった。その生涯の思索の集大成がこの『本居宣長』にあたる。 雑誌連載は十一年半に及び、小林は七十歳を過ぎてこれを完成させた。

主題は、江戸時代の国学者本居宣長の生涯と思想である。宣長は『古事記』や『源氏物語』を生涯をかけて読み解いた学者だった。小林はその宣長の学問に深く分け入っていく。

小林が宣長のなかに見出すのは、「もののあはれ」の思想である。宣長は『源氏物語』の本質を「もののあはれを知る」ことだと説いた。理屈や道徳ではなく、物事に触れてしみじみと心が動くその情の働きこそが、人間の真実だという考えである。

小林は、宣長が儒教や仏教の理屈を排し、古人の心に素直にまっすぐに触れようとしたその姿勢に共感する。それは既成の理論を排して作品と向き合うという、小林自身の批評の理想と深く重なっていた。

宣長を論じることを通して、小林は日本人の心のあり方、言葉と思想の関係、そして「わかる」とは何かを問う。 一人の学者の評伝でありながら、小林の思想のすべてが注ぎ込まれた作品にあたる。

文学史における評価と影響

小林秀雄の最後の、そして最大の著作であり、その批評家としての生涯の集大成とされる。日本文学大賞を受賞した。

この作品の規模は圧倒的である。小林は十一年半にわたって連載を続け、七十代でこの大著を完成させた。 様々なる意匠以来、半世紀にわたる小林の思索がここに結実している。

主題である本居宣長は、小林にとって理想の探究者だった。宣長は儒教や仏教といった外来の理屈の枠組みを排し、『古事記』や『源氏物語』の古人の心に、直接、素直に触れようとした。 この、既成の理論に頼らず対象そのものと向き合う姿勢は、様々なる意匠以来の小林自身の批評の理想と深く響き合う。

「もののあはれ」の思想が作品の中心にある。宣長の説く、物事に触れてしみじみと心が動く情の働き。小林はそこに、理屈を超えた人間の心の真実を見た。 近代の合理主義や抽象的な思想への懐疑という、小林の一貫した姿勢がここに集約されている。

一方、この作品は難解でも知られる。 小林の思索は宣長を論じながら、言葉とは何か、「わかる」とは何かといった根源的な問いへと深く分け入っていく。その錯綜した思索は、読者に容易には全体像を渡さない。

批評という営みが一個の巨大な思想の書に達しうることを示した達成として、この作品は日本の批評史に屹立している。

内容

評論『本居宣長』小林秀雄が生涯の最後に書き上げた、最大の著作である。雑誌『新潮』での連載は十一年半に及んだ。

主題は、江戸時代中期の国学者本居宣長(1730-1801)の生涯と思想である。宣長は伊勢・松坂の町医者として暮らしながら、生涯をかけて『古事記』の注釈『古事記伝』を完成させ、また『源氏物語』を深く読み解いた、日本の古典研究の巨人である。

小林はまず、宣長の墓やその遺言書についてのこまやかな考察から筆を起こす。そして宣長という一人の人間の姿に、少しずつ深く分け入っていく。

小林が宣長の学問のなかに見出す、最も重要な思想。それが「もののあはれ」である。

宣長は『源氏物語』の本質は何かを問うた。それまで『源氏物語』は、儒教や仏教の道徳の物差しで、「不倫を描いたけしからぬ物語」とも「仏の教えを説いた物語」とも読まれてきた。だが宣長は、そのどちらも退ける。

宣長によれば、『源氏物語』の本質は「もののあはれを知る」ことにある。物事に触れたとき、うれしい、悲しい、いとおしいと、しみじみ心が動く。その情の働きそのものが人間の真実であり、文学の本質なのだ。善悪の理屈でも道徳の教訓でもない。ただ心が動くその素直な情こそが大切なのである。

小林は、宣長が儒教や仏教といった外から来た理屈——宣長の言う「漢意(からごころ)」——をきっぱりと排したことに注目する。宣長はそうした後付けの理屈を捨てて、古人の心に直接、素直に、まっすぐに触れようとした。

この宣長の姿勢は、小林自身の批評の理想と深く重なっていた。既成の理論や主義の枠組みを排し、作品そのものと生身で向き合う——それは様々なる意匠以来、小林が生涯を通じて追い求めてきた批評のあり方そのものだった。

宣長を論じながら、小林の思索はさらに深い問いへと向かう。言葉とは何か。古人にとって、言葉と物と心とはどう結びついていたのか。そして、あるものを「わかる」とはどういうことか。

一人の国学者の評伝でありながら、この作品には言葉、思想、歴史、そして日本人の心のあり方をめぐる、小林の生涯の思索のすべてが注ぎ込まれている。

半世紀にわたって批評の道を歩んだ小林秀雄が、その最後にたどり着いたこの巨大な思想の書は、日本の近代批評の一つの到達点となった。

作者

登場する文学史