無常という事
- 作者
- 小林秀雄
- 成立
- 1946
- 国
- 日本
- 時代
- 現代
概要
歴史と伝統への沈潜を通じて、独自の歴史観と美意識を語った評論集である。
小林秀雄は様々なる意匠で近代批評を切り開いた後、戦争をはさむ時期に、関心を同時代の文学から歴史や日本の古典へと移していった。 この評論集はその時期の随想を集めたものにあたる。
表題作「無常という事」は、短いが小林の歴史観を凝縮した名文として知られる。『一言芳談抄』という古い書物の一節に打たれた体験から、小林は歴史とは何かを思索する。
小林は言う。歴史とは過去の事実の記録ではない。大切なのは「上手に思い出す」ことである。死んでしまった者、過ぎ去ってしまったものはもはや動かない。だからこそ確かなものとして、美しく我々の前に現れる。
「思い出となれば、みんな美しく見えるとよく言うが、その意味をもう一度よく考えてみるべきである」。移ろいゆく「無常」の現在よりも、動かぬ過去のなかにこそ確かなものがある——小林はそう説く。
近代の進歩を信じる歴史観に抗して、過去と伝統のなかに確かな美と真実を見出そうとする小林の思索が、簡潔な文章に結晶している。
文学史における評価と影響
戦中戦後の小林秀雄の歴史観・美意識を代表する評論集であり、表題作は日本の批評文の名文として広く知られている。
様々なる意匠で近代批評を確立した小林は、この時期、関心を同時代文学の批評から、歴史・伝統・日本の古典へと転じた。 この評論集はその転回を示すものにあたる。
主題は独自の歴史観である。小林は歴史を、客観的な事実の連なりとしては捉えない。歴史とは、我々が「上手に思い出す」ことによって確かなものとして立ち現れるものだと考える。 過ぎ去り死んでしまったものはもう動かない。その動かなさゆえに、過去はうつろう現在よりもかえって確かで美しい。
「無常」への独自の解釈がその核心にある。ふつう「無常」ははかなさや移ろいやすさを意味する。だが小林は、うつろう現在の不確かさに対して、動かぬ過去の確かさを対置する。 その逆説的な思索が、簡潔で余韻に富んだ文章で語られる。
この評論集は、近代の進歩を信じる合理的な歴史観への批判を含んでいる。過去や伝統を遅れたものとして切り捨てるのではなく、そこに確かな美と真実を見出そうとする姿勢は、戦後の思想に独自の位置を占めた。小林の詩的で示唆に富んだ批評文の魅力を最もよく伝える一冊として、読み継がれている。
内容
評論集『無常という事』は小林秀雄が戦争をはさむ時期に書いた随想・評論を集めたものである。「当麻」「無常という事」「平家物語」「西行」「実朝」など、日本の古典や歴史上の人物をめぐる短い文章が収められている。
様々なる意匠で近代の文芸批評を切り開いた小林は、この時期、その関心を大きく転じていた。同時代の文学作品の批評から、歴史、伝統、そして日本の古典の世界へと深く沈潜していったのである。
表題作「無常という事」は、短いながら小林の歴史観を凝縮した名文として名高い。
小林はまず、『一言芳談抄』という鎌倉時代の仏教書の一節を引く。ある女が神社で無心に歌い舞う——その古い言葉に触れたとき、小林の心は深く動かされる。その言葉にしがたい感動の体験から、小林は「歴史とは何か」を思索し始める。
小林の考えは常識に反する。歴史とは、過去に起きた事実の客観的な記録ではない。大切なのは、過去を「上手に思い出す」ことである。
なぜか。生きている現在は絶えず動き、移ろい、不確かである。だが死んでしまった者、過ぎ去ってしまったものは、もう二度と動かない。 その動かしがたさのゆえに、過去はかえって確かで美しいものとして、我々の前に現れる。
「思い出となれば、みんな美しく見えるとよく言うが、その意味をもう一度よく考えてみるべきである」と小林は書く。うつろう現在よりも、動かぬ過去のなかにこそ確かなものがあるというのである。
この評論集の他の文章でも、小林は平家の武士、西行、源実朝といった過去の人物や作品と向き合う。そのいずれにおいても小林は、過去を遠い昔の資料としてではなく、今、生き生きと自分に迫ってくるものとして捉えようとする。
近代の進歩を信じ、過去を乗り越えるべきものとする歴史観に抗して、過去と伝統のなかに動かぬ確かな美と真実を見出そうとする——小林のその独自の思索が、簡潔で余韻に満ちた文章に結晶している。