壁
- 作者
- 安部公房
- 成立
- 1951
- 国
- 日本
- 時代
- 現代
概要
ある朝、自分の名前がなくなっている男の話である。
主人公は会社員。目が覚めると、自分の名前を思い出せない。 名刺入れは空で、他人も自分を認識できない。名前は自分の胸から抜け出して、勝手に歩き回っている。
そこから、日常が少しずつ壊れていく。会社では自分の席に自分の名前が座っている。病院で診察を受け、法廷で裁かれる。名前を取り戻そうとするほど、事態は不条理になる。
やがて男の胸の中に荒野が広がり始める。内側が外の風景になっていく。最後に男は成長を止めて動かなくなり、壁そのものになる。
この筋を、まじめな調子と滑稽な調子が交互に語る。裁判の場面には駱駝や人形が出てきて、法廷が見世物になる。恐ろしさと馬鹿馬鹿しさが同じ密度で書かれる。
短篇集『壁』として刊行され、表題作「S・カルマ氏の犯罪」のほか、「バベルの塔の狸」「赤い繭」などを収める。1951年、安部公房は二十七歳で芥川賞を受けた。
文学史における評価と影響
日本の戦後文学に、寓話という方法を持ち込んだ作品にあたる。
同時代の日本の小説は、作者の私生活を書く私小説か、社会を告発するプロレタリア文学が主流だった。安部はそのどちらでもない書き方をした。 起こることは現実にはありえない。だが、その中で扱われているのは現実の問題である。
主題は帰属の喪失にある。名前を失うことは、社会における自分の位置を失うことにあたる。会社にも、家にも、法にも、自分の場所がなくなる。戦後の日本で、多くの人が経験したことの抽象化として読まれた。
カフカとの比較が繰り返し行われてきた。ある朝、日常が理由なく壊れているという設定は変身に近い。ただし安部の作品には、カフカにない笑いがある。 不条理を悲劇として書かず、滑稽な見世物として書く。
安部の経歴も、この作品の背景として語られる。満洲で育ち、敗戦で引き揚げた。 生まれた国も育った土地も自分のものではない、という感覚が、帰属を主題にした作品を書かせたと説明される。
安部はこの後、砂の女や他人の顔など、人が自分の輪郭を失う話を書き続ける。 その出発点がこの作品にあたる。
翻訳が多く、国外での評価も高い。日本の小説家のなかで、最も「日本的でない」と評される一人である。
内容
「S・カルマ氏の犯罪」が中心作にあたる。
ある朝、目が覚めると胸の中が空っぽで、自分の名前を思い出せない。 名刺入れを開けても白紙である。
会社へ行くと、自分の席に自分の名刺が座って仕事をしている。名前のほうが自分になりすましている。
病院へ行く。医者は胸の中が真空だと診断する。そこから、男は目にしたものを吸い込んでしまうようになる。 展示室の風景画を見ていると、その風景が胸の中に入ってしまう。
男は「風景を盗んだ罪」で裁判にかけられる。
法廷は異様である。裁判長のほか、駱駝、マネキン人形、そして男を訴える名刺が並ぶ。議論は噛み合わず、誰も男の言い分を聞かない。
男は逃げ出す。町をさまよう。胸の中の荒野が広がっていく。
やがて男は自分の部屋に戻る。壁に向かって立つと、体が固くなり、成長を始める。男は壁になる。
最後の一節では、その荒野の中で自分が果てしなく成長していく壁になったことが語られる。
「バベルの塔の狸」では、影を盗まれた男が異界へ迷い込む。
「赤い繭」は数ページの短篇にあたる。家がない男が、なぜ自分の家がないのかと考えながら歩くうちに、体から糸が出て自分を包み、繭になる。 家はできたが、帰る自分がいなくなる。