春と修羅
- 作者
- 宮沢賢治
- 成立
- 1924
- 国
- 日本
- 時代
- 近代
概要
宮沢賢治が、生前にただ一冊だけ出した詩集である。
賢治は、この詩集の作品を「詩」とは呼ばず、「心象スケッチ」と呼んだ。心に浮かぶ情景を、その瞬間のまま、絵をスケッチするように言葉で書きとめる。 完成した作品というより、心の動きの記録として書かれている。
表題作「春と修羅」で、賢治は、春の野を歩く自分を「おれはひとりの修羅なのだ」とうたう。修羅とは、仏教で、怒りと闘争にとらわれた存在をさす。明るい春の風景のなかで、賢治は、自分の内なる怒りや苦しみを、修羅として見つめる。
この詩集の言葉は、独特である。科学の用語(鉱物、地質、天文)、宗教の言葉(仏教)、方言、そして賢治が作り出した造語が、自由に入り混じる。「イーハトーヴ」のような、現実と幻想の境にある世界が立ち上がる。
最も知られるのが、妹トシの死をうたった一連の詩である。「永訣の朝」では、死にゆく妹が最後に求めた、みぞれの雪をとりに行く兄の姿が描かれる。深い悲しみが、みぞれの白さのなかに、痛切に結晶している。
賢治の作品は、生前ほとんど読まれなかった。この詩集も、自費出版で、わずかしか売れなかった。 賢治の詩が世に知られるのは、その死後のことである。
文学史における評価と影響
日本近代詩の、最も独創的な達成の一つとされる。賢治が生前に刊行した、ただ一冊の詩集にあたる。
最大の特徴は、「心象スケッチ」という方法である。賢治は、これを「詩」とは考えなかった。心に立ち現れる情景を、時間とともに変化するまま、その場で書きとめる。 完結した詩ではなく、意識の流れそのものを言葉にしようとする、前例のない試みだった。
独自の言語が、この詩集を際立たせる。地質学・天文学・鉱物学の科学用語、法華経に由来する仏教語、東北の方言、そして賢治の造語。それらが混ざり合い、日本語の詩の語彙を、根本から押し広げた。
自然と生命への感覚が、全体を貫く。賢治にとって、風も雲も鉱物も、すべてが生きて感じている存在である。人間中心でない、宇宙的な生命観が、詩の隅々に流れている。
妹トシの死をうたった詩群は、日本の挽歌の頂点とされる。「永訣の朝」「無声慟哭」などで、賢治は、最愛の妹の死を、宗教と科学と肉親の情の交わるところで、痛切にうたった。
生前は無名だったが、死後、草野心平らの尽力で世に知られ、今日では国民的な詩人として、教科書にも広く採られている。その影響は、後の詩人たちに深く及んでいる。
内容
詩集『春と修羅』は、賢治が「心象スケッチ 第一集」と位置づけた作品集である。序詩に続き、大正十一年から十三年にかけて書かれた詩が、日付とともに収められている。
序で、賢治は自らの詩の方法を語る。「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です」——自分という存在を、明滅する一つの現象としてとらえる、独特の世界観が示される。
表題作「春と修羅」。賢治は、まぶしい四月の野を歩く。ひばりが鳴き、木々が芽吹く。だが、その明るい風景のなかで、賢治は、自分の内に渦巻く怒りと苦しみを見つめ、こう叫ぶ。
「おれはひとりの修羅なのだ」
美しい春と、荒れ狂う内面の修羅。その二つが、同じ一人のなかに同居している。 この矛盾こそが、詩集の中心にある。
詩集には、賢治の故郷・岩手の自然が、繰り返し現れる。山、雲、雨、雪、林、鉱物。賢治は、それらを、ただの風景としてではなく、生きて呼吸する存在として、うたう。科学者の目と、詩人の心と、宗教者の魂が、一つになっている。
詩集の後半、最も深い部分に、妹トシの死をうたった一連の詩が置かれている。
「永訣の朝」。賢治の最愛の妹トシが、病で死のうとしている。トシは、最後に、外の雪をとってきてほしいと兄に頼む。「あめゆじゆとてちてけんじや(雨雪をとってきてください)」——方言でつぶやくその言葉を胸に、賢治は、みぞれの降る庭へ、器を持って雪をとりに走る。死にゆく妹への、痛切な愛と、深い悲しみが、みぞれの白さのなかに凍りついている。
続く「無声慟哭」「松の針」でも、賢治は、妹の死を、宗教と肉親の情の交わるところで、うたい続ける。声にならない慟哭が、言葉の底に沈んでいる。
自然の生命への賛歌と、修羅としての苦悩、そして妹の死への挽歌。それらが一冊のなかで響き合い、宮沢賢治という詩人の、独自の宇宙を形づくっている。
この詩集は、賢治の生前には、ほとんど誰にも読まれなかった。だがその言葉は、死後、時代を越えて多くの人の心に届き、日本近代詩の、かけがえのない達成として、読み継がれている。