或る「小倉日記」伝
- 作者
- 松本清張
- 成立
- 1953
- 国
- 日本
- 時代
- 現代
概要
森鴎外の失われた日記を探すことに、生涯を捧げた一人の男の物語である。
松本清張は、後に社会派推理小説で知られるが、その出発点は、この短篇にあった。清張の芥川賞受賞作にあたる。
主人公は、田上耕作(たがみこうさく)という青年である。生まれつき体に障害があり、言葉も不自由で、まともに歩くこともできない。だが、その頭脳は明晰だった。
耕作は、あるとき、森鴎外が小倉に赴任していた時期(明治期)の日記が、失われていることを知る。鴎外の年譜には、その空白の期間がある。耕作は、この失われた「小倉日記」の内容を、当時の鴎外を知る人々を訪ね歩いて、復元しようと決意する。
不自由な体を引きずり、母に支えられながら、耕作は、鴎外ゆかりの人々を、一人また一人と訪ねていく。それは、報われる保証のない、地道で困難な調査だった。 だが耕作は、この仕事に、生きる意味を見出す。
やがて耕作は、志半ばで病に倒れ、若くして世を去る。しかも死後、失われたはずの「小倉日記」の原本が、発見されてしまう。耕作の生涯の苦労は、無駄だったのか。清張は、報われぬまま終わったその一途な生に、静かな敬意を込めて、この物語を書いた。
文学史における評価と影響
松本清張の芥川賞受賞作であり、後に国民的作家となる清張の記念すべき出発点にあたる。
この作品は、清張がまだ無名の四十代の遅い出発の時期に書かれた。推理小説の作家というイメージが強い清張だが、その原点は、こうした純文学的な人間ドラマにあった。
主題は、報われぬ一途な生への共感と哀惜である。主人公・耕作は、障害を抱えながら、失われた日記の復元という、地味で困難な仕事に、生涯を捧げる。その努力が、死後、原本の発見によって無に帰すという結末は、深い皮肉と哀しみをたたえている。 だが清張は、その一途な生を、無意味なものとしては描かない。
無名の人間への視線が、清張文学の一貫した特徴として、すでにここに現れている。歴史の表舞台に立つことのない、市井の一人の男。その報われぬ努力と、ささやかな尊厳に、清張は光を当てた。 この虐げられた者や無名の者への共感は、後の社会派推理小説にも通じている。
清張は、貧しい境遇から独学で身を立て、遅くに文壇に出た作家だった。耕作の一途な姿には、清張自身の報われぬ苦労への実感が、投影されているとされる。 遅咲きの作家の出発を告げた、味わい深い一篇である。
あらすじ
田上耕作は、明治の末に生まれた。生まれつき、体に重い障害があった。顔は歪み、言葉は不明瞭で、歩くこともままならない。 だが、その頭脳は、きわめて明晰だった。
耕作は、体の不自由さゆえに、世間から疎まれ、まともな仕事にも就けなかった。母だけが、この息子を、深い愛情で支え続けた。
あるとき、耕作は、文豪森鴎外に関心を抱く。そして、鴎外が軍医として、九州の小倉に赴任していた時期があることを知る。ところが、その小倉時代の鴎外の日記——「小倉日記」は、失われて、行方が分からなくなっていた。鴎外の年譜には、その期間が、大きな空白として残っていた。
耕作は、決意する。この失われた「小倉日記」の内容を、自分の手で復元しよう、と。 当時、小倉で鴎外と交わった人々は、まだ生きている。彼らを訪ね、話を聞けば、日記の空白を、埋めることができるかもしれない。
こうして、耕作の長い調査が始まる。不自由な体を引きずり、母に付き添われながら、耕作は、鴎外ゆかりの人々を、一人また一人と訪ね歩く。 かつて鴎外と交流のあった老人、寺の住職、教会の関係者。耕作は、彼らの記憶をたどり、鴎外の小倉時代の日々を、少しずつ明らかにしていく。
それは、地道で、困難な作業だった。耕作の努力が、いつか報われるという保証は、どこにもなかった。 それでも耕作は、この仕事に、自分の生きる意味を見出していた。障害ゆえに、何者にもなれなかった耕作にとって、これは、ただ一つの誇りある仕事だったのである。
だが、調査の半ばで、耕作は病に倒れる。そして、志を果たせぬまま、若くして世を去る。
耕作の死後、皮肉な出来事が起こる。行方の分からなかった、あの「小倉日記」の原本が、思いがけず発見されたのである。耕作が生涯をかけて復元しようとしたものは、はじめから、失われてはいなかった。
耕作の一途な苦労は、結果としては、無駄だったのかもしれない。だが、その報われぬ生を、清張は、静かな敬意をこめて描く。 何者にもなれなかった一人の男が、ただ一つの仕事に打ち込んだ、そのささやかな尊厳を刻んで、物語は閉じられる。