和泉式部
- 原綴
- Izumi Shikibu
- 生没
- 978頃–不明
- 出身
- 不明(平安京とみられる)
- 国
- 日本
- 時代
- 中古
生涯
978年ごろに生まれた。父は越前守(えちぜんのかみ)などを務めた中級貴族である。和泉守(いずみのかみ)だった橘道貞(たちばなのみちさだ)と結婚し、「和泉式部」の呼び名はこの夫の任国に由来する。
道貞とのあいだに娘をもうけた。この娘、小式部内侍(こしきぶのないし)も、母に劣らぬ歌才で知られたが、若くして世を去っている。やがて和泉式部は、冷泉(れいぜい)天皇の皇子、為尊(ためたか)親王と恋におちた。親王の死後は、その弟の敦道(あつみち)親王とも恋を重ねた。身分違いのこの恋は当時の宮廷で評判となり、その顛末は『和泉式部日記』につづられている。
敦道親王の死後、一条(いちじょう)天皇の中宮彰子(しょうし)に女房として仕えた。同じ彰子に仕えた女房には紫式部がいる。のちに藤原保昌(ふじわらのやすまさ)と再婚し、夫の任国に下った。没年は分かっていない。
作風
和泉式部の歌は、恋の情熱を、あふれるままにうたう。相手への思い、逢えない苦しみ、死別の悲しみを、飾らずに、しかし鋭い感受性でとらえた。理知や技巧を前に立てず、感情そのものをまっすぐに詠む点に、その歌の力がある。
「あらざらむこの世のほかの思ひ出に今ひとたびの逢ふこともがな」は、病で死を予感しながら、あの世への思い出にもう一度だけ逢いたいと訴える歌である。死を前にしてなお恋を求める激しさが、和泉式部の歌の本質をよく示している。この一首は『百人一首』にも採られ、広く知られている。
黒髪の乱れを恋の乱れに重ねた「黒髪の乱れも知らずうち臥せばまづかきやりし人ぞ恋しき」など、身体の感覚を通して情念をうたう歌も多い。紫式部は日記のなかで、和泉式部の歌の才を認めつつ、その奔放な生き方には距離を置いている。
作品
『和泉式部日記』
敦道親王との恋の始まりから、その邸に迎え入れられるまでを、多くの贈答歌を交えてつづった作品である。三人称に近い語り口で自らの恋を描く独特の形式をとり、和歌と物語が融合した平安女流文学の一つに数えられる。
『和泉式部集』
生涯にわたる和歌を集めた歌集である。恋の歌を中心に、死別の悲しみや信仰をうたった歌も含み、平安女流歌人のなかで屈指の質と量を誇る。
文学史における立ち位置と影響
和泉式部は、平安女流文学を代表する歌人として文学史に名を残す。同時代には紫式部や清少納言がいたが、この二人が物語や随筆で名を残したのに対し、和泉式部は何よりも和歌でその才を発揮した。
その情熱的な恋の歌は、後世の歌人に高く評価された。技巧を超えて感情の真実に迫る歌風は、日本の恋の和歌の一つの頂点とされる。奔放な恋愛遍歴とあわせて、和泉式部は平安の恋の歌人の代名詞となった。
勅撰和歌集(天皇の命で編まれた公的な歌集)にも多くの歌が採られ、平安中期を代表する歌人として、その地位は揺るがない。