作者
遠藤周作
成立
1980
日本
時代
現代

概要

通商交渉のため太平洋を渡った、江戸初期の侍の生涯を描いた小説である。

遠藤周作は、沈黙で神の沈黙を問うた作家である。この『侍』は、実在した使節・支倉常長(はせくらつねなが)の史実をもとにしている。

主人公は、東北の小さな領地を治める、身分の低い侍長谷倉。ある日、彼は思いがけず、藩の命を受けて、メキシコやヨーロッパへ通商交渉に赴く使節に選ばれる。同行するのは、野心に満ちた宣教師ベラスコである。

一行は、太平洋を渡り、メキシコを経て、はるばるスペイン、そしてローマまで、数年にわたる困難な旅を続ける。交渉を有利に進めるため、侍たちは、望まぬまま、キリスト教の洗礼を受けることになる。 長谷倉にとって、それは形だけの政治のための改宗にすぎなかった。

だが、旅の果てに、交渉は失敗する。そして日本では、その間にキリスト教が禁じられ、迫害が始まっていた。 長い旅を終えて帰国した長谷倉を待っていたのは、棄教の強要と、死だった。

政治のために形だけ受け入れたはずの信仰。だが、みじめな敗残者となった長谷倉の心に、痩せこけた無力なキリストの姿が、いつしか寄り添っていく。 沈黙に通じる、遠藤の信仰の主題が、ここにある。

文学史における評価と影響

遠藤周作の後期を代表する長篇であり、沈黙と並ぶ、その信仰文学の到達点とされる。谷崎潤一郎賞を受賞した。

素材は、江戸初期に実在した使節、支倉常長の遣欧使節である。仙台藩主・伊達政宗が派遣したこの使節は、太平洋・大西洋を渡ってヨーロッパに至ったが、時代の変化のなかで、その使命を果たせずに終わった。遠藤は、この史実に、自らの信仰の主題を重ねた。

主題は、無力な者に寄り添うキリストである。主人公・長谷倉は、英雄でも聖人でもない。身分の低い、うだつの上がらぬ侍にすぎない。政治の都合で異国へ送られ、望まぬ洗礼を受け、そして敗残者として帰国し、殺される。そのみじめで無力な男の傍らに、遠藤は、やはり無力に十字架にかかったキリストの姿を、そっと置く。

沈黙との連続性が深い。沈黙が、踏み絵を踏む弱者に寄り添う神を描いたように、この『侍』もまた、栄光の神ではなく、みじめな者とともに苦しむ神を描く。 遠藤の一貫した、弱者のためのキリスト教という主題が、ここに結晶している。

長い旅の物語としても、この作品は読みごたえがある。太平洋からメキシコ、スペイン、ローマへと至る使節の旅路は、異国の風物とともに、壮大なスケールで描かれる。遠藤の後期の円熟を示す、重厚な長篇にあたる。

あらすじ

江戸時代の初め。東北の雪深い痩せた土地を治める、身分の低い侍長谷倉は、亡き父から受け継いだわずかな領地で、慎ましく暮らしていた。野心もなく、ただ静かに生きることを望む男だった。

ある日、長谷倉は、藩から、思いもよらぬ大役を命じられる。海を渡り、メキシコ(当時のノビスパン)やヨーロッパへ赴き、通商の交渉を行う使節の一人になれ、というのである。

使節に同行するのは、スペイン人の宣教師ベラスコである。ベラスコは、この使節を利用して、日本での布教の権限を得ようという、大きな野心を抱いていた。

一行は、日本で造られた船で、太平洋を渡る。 荒波を越え、数か月かけて、メキシコに到着する。だが、交渉は思うように進まない。ベラスコは、交渉を有利にするには、侍たちがキリスト教の洗礼を受けるべきだ、と説く。

長谷倉たちは、迷う。彼らにとって、キリスト教への改宗など、思いもよらぬことだった。だが、藩の使命を果たすため、交渉を前に進めるため、長谷倉たちは、ついに形だけの洗礼を受け入れる。それは、心からの信仰ではなく、政治のための便宜的な改宗にすぎなかった。

一行は、さらに大西洋を渡り、スペインへ、そしてローマへと向かう。教皇に謁見し、交渉を成就させようとする。 旅は、数年に及ぶ。

だが、彼らの努力は、実を結ばない。世界の情勢は変わり、日本との通商に、もはや誰も関心を示さなかった。 交渉は、完全に失敗する。

しかも、その間に、日本国内では、事態が一変していた。幕府は、キリスト教を厳しく禁じ、迫害を始めていたのである。 使節としてキリスト教国をめぐり、洗礼まで受けた長谷倉たちの立場は、帰国すれば、きわめて危ういものになっていた。

長い、実りなき旅を終えて、長谷倉は、故郷へ帰り着く。待っていたのは、棄教の強要と、罪人としての処罰だった。 政治のために形だけ受け入れたはずの信仰が、今や、彼を死へと追いやろうとしていた。

みじめな敗残者として、死へと向かう長谷倉。だが、その孤独な心に、いつしか、あの痩せこけた、無力なキリストの姿が、寄り添うようになっていた。栄光とは無縁の敗残の生の傍らに、静かに寄り添う神。その姿を描いて、遠藤は、この重い物語を閉じる。

作者

登場する文学史