トーマス・ベルンハルト

原綴
Thomas Bernhard
生没
1931–1989
出身
ヘールレン(オランダ)
ドイツ
時代
戦後

生涯

1931年、オランダのヘールレンに生まれた。母が未婚で出産したため、オーストリアを離れての出産だった。父は認知せず、生涯会っていない。

祖父である作家ヨハネス・フロイムビヒラーに育てられた。この祖父から芸術と反権威の姿勢を受け取ったと、後に繰り返し書いている。

第二次大戦末期、ザルツブルクの寄宿舎で空襲を経験した。この寄宿舎はナチス期には国家社会主義の施設で、壁にはヒトラーの肖像が掛かっていた。戦後は同じ建物がカトリックの施設になり、肖像が十字架に替わる。替わったのは看板だけで中身は同じだった、という趣旨のことを自伝に書いている。

1947年、商業学校をやめて食料品店の見習いになった。翌年、肺の病で倒れ、以後数年を療養所で過ごす。この間に祖父と母を相次いで失った。生涯にわたって肺の疾患を抱え続けることになる。

回復後、ザルツブルクの音楽大学モーツァルテウムで声楽と演劇を学び、新聞記者として働いた。1963年の『凍』で小説家として出発する。

以後、小説と戯曲を発表し続けた。同時に、オーストリアに対する攻撃を繰り返す。国家賞の授賞式で行った演説がスキャンダルになり、1984年の『伐採』は名誉毀損の訴えによって一時押収された。

1988年の戯曲『英雄広場』は、初演前から国会で議論になるほどの騒動を引き起こした。オーストリア人はナチス期より今のほうが多くのナチを抱えている、という趣旨の台詞が含まれる。

1989年、心不全により58歳で死去した。遺言により、オーストリア国内での作品の上演と出版を、著作権の存続期間中は禁じるとした。この措置は後に遺産管理者によって緩められている。

作風

段落がない。改行もほとんどなく、数百頁が一つの塊として続く。会話も「〜と彼は言った」という形で地の文に取り込まれ、しかもその伝聞が幾重にも入れ子になる。ある人物が語ったことを別の人物が語り、それを語り手が書く、という構造をとる。

内容は、ほぼ全篇が罵倒である。オーストリア、カトリック教会、国家社会主義、農民、都市、大学、芸術家、家族。あらゆるものが徹底的に否定される。同じ罵倒が語を少し変えながら何度も繰り返され、その反復が音楽的な効果を生む。作曲の訓練を受けたことが文体に出ている、としばしば指摘される。

主題は、完成できない仕事である。多くの作品で、主人公は生涯を賭けた著作や研究を抱えている。だがそれは書かれない。準備は完璧に整い、資料は集まり、しかし最初の一行が書けない。この不能が、破滅へつながる。

自伝的な要素も濃い。病、施設、祖父、故郷への憎悪。五部からなる自伝は、この素材を直接に扱っている。

戯曲でも文体は変わらない。人物が延々と独白し、劇的な事件が起きない。俳優にとって極度に困難な台詞として知られる。

滑稽さも共存している。罵倒があまりに過剰なため、読んでいるうちに笑いが生じる。悲惨と喜劇が分離しない書き方になっている。

作品

『凍』(1963年)

最初の長篇である。山村に隠棲した画家の言葉を、医学生が記録するという構成をとる。

『石灰工場』(1970年)

廃業した石灰工場を買って妻とこもり、聴覚についての研究書を書こうとする男の話である。男はそれを一行も書けないまま、妻を射殺する。

『破滅者』(1983年)

20世紀を代表するピアニストであるグレン・グールドと、同じ時期に同じ師のもとでピアノを学んだ二人の男を扱う。天才を目の当たりにして自分の限界を知った者が、どう滅びるかを書く。

『伐採』(1984年)

ウィーンの晩餐会に招かれた語り手が、椅子に座ったまま同席者たちを心のなかで罵倒し続ける。実在の人物がモデルだとして訴訟になった。

『消去』(1986年)

最後の長篇であり、最大の作品である。ローマに住む男が、両親と兄の事故死を知らせる電報を受け取る。相続することになった故郷の屋敷と、オーストリアの過去そのものを「消去」しようとする。

『英雄広場』(1988年)

最後の戯曲である。ナチス期に亡命し戦後に戻ってきた一家が、再びオーストリアに絶望する。

自伝五部作(1975〜82年)は、『原因』『地下』『息』『寒さ』『ある子供』からなる。

日本語では『消去』『石灰工場』『破滅者』が読める。

文学史における立ち位置と影響

ベルンハルトは、20世紀後半のドイツ語文学で最も独自の文体を作った作家とされる。

その文体は模倣が容易でありながら、成功例が少ない。段落のない独白、反復、誇張された罵倒。形式として真似られる一方、それを持続させることが難しいためである。

オーストリアとの関係が、その活動の中心にある。国を攻撃し続け、国から賞を受け、その授賞式で罵倒し、上演禁止を遺言する。この対立そのものが作品の一部になっている。ナチス期への責任を長く直視しなかった戦後オーストリアの状況が、この執拗さの背景にある。バッハマンイェリネクと同じ系列に置かれる。

演劇では、劇的な事件を排して独白だけで進む形式を確立した。ペーター・ハントケらと並び、戦後ドイツ語圏の演劇を代表する。

国際的な評価も高い。とくにフランスと英語圏で読まれ、ベケットの後継として論じられることが多い。何もできない人物、終わらない語り、笑いと絶望の共存という点が共通する。

日本では1990年代以降に翻訳が進み、近年になって主要作が揃った。

登場する文学史