ハンス・マグヌス・エンツェンスベルガー
- 原綴
- Hans Magnus Enzensberger
- 生没
- 1929–2022
- 出身
- カウフボイレン(バイエルン州)
- 国
- ドイツ
- 時代
- 戦後
生涯
1929年、バイエルン州カウフボイレンに生まれ、ニュルンベルクで育った。少年期をナチス期に過ごし、ヒトラー・ユーゲントから追放された経歴を持つ。戦争末期には国民突撃隊に組み込まれた。
エアランゲン、フライブルク、ハンブルク、パリの各大学で文学と哲学を学び、1955年、ブレンターノの詩についての論文で学位を取得した。
放送局の編集者を経て、1957年に最初の詩集『狼たちの弁護』を発表する。西ドイツの復興のなかで、その繁栄を正面から攻撃する内容で注目された。
1965年、雑誌『クルスブーフ』を創刊した。1968年前後の学生運動と新左翼の議論の中心になった媒体である。1968年、この雑誌でエンツェンスベルガー自身が、文学は死んだという趣旨の主張を掲げ、大きな論争を招いた。
1960年代後半、キューバに滞在した。革命への共感から出発したが、体制の実態を見て距離を取ることになる。以後、既成の政治的立場に固定されない位置をとり続けた。
長く旅行を続け、ノルウェー、イタリア、キューバ、アメリカなど各地に住んだ。1979年からミュンヘンを拠点にしている。
出版でも仕事を残した。「別の図書館」という叢書を編集し、忘れられた書物を数百点にわたって復刊した。2022年、93歳で死去した。
作風
エンツェンスベルガーの詩は、政治の言語を素材にする。
新聞の見出し、統計、広告、官庁の文書。そうした言葉を詩に取り込み、配置を変えることで、その空虚さや欺瞞を露出させる。初期の詩は攻撃的で、繁栄する西ドイツの市民を「狼に食われることを望む羊」として描いた。
同時に、抒情の技術も高い。皮肉と怒りだけでなく、静かな観察の詩も書いている。この振れ幅が大きく、一つの作風で括りにくい。
散文では、ジャンルを横断する。政治評論、社会分析、歴史のルポルタージュ、旅行記、数学の入門書、子ども向けの物語。同じ人物が書いたとは思えないほど対象が広い。
その全体を貫くのが、疑うという態度である。左翼の立場から出発しながら、左翼の教条も同じように解体した。1970年の「メディア論のための構成要素」では、メディアが操作の道具だという当時の左翼の見方を批判し、受け手が発信者になりうる構造を指摘した。インターネット以前のこの議論は、後になって参照されるようになる。
文章は明晰で、読者を選ばない。専門的な議論を、専門用語を使わずに書く技術に長けていた。『数の悪魔』は、数学嫌いの少年の夢に悪魔が現れて数学を教えるという物語で、世界中で読まれている。
叙事詩の形式も試みた。『タイタニック号の沈没』は、キューバでの体験と、原稿を失った経緯を含めて、三十三の歌として書かれている。
作品
『狼たちの弁護』(1957年)
最初の詩集である。
『マウソレウム』(1975年)
近代を作った三十七人の人物を扱った詩の連作である。
『タイタニック号の沈没』(1978年)
長篇の詩で、代表作とされる。
『政治と犯罪』(1964年)と『意識産業』(1962年)は初期の評論集である。後者は文化産業論として読まれた。
「メディア論のための構成要素」(1970年)はメディア論の論文である。
『アナーキーの短い夏』(1972年)
スペイン内戦のアナーキスト、ブエナベントゥーラ・ドゥルティを扱う。証言と資料を組み合わせた構成をとり、小説とルポルタージュの中間に位置する。
『数の悪魔』(1997年)
数学を扱った児童書である。世界的なベストセラーになった。
『冬のヨーロッパ』(1987年)
東欧各国を巡った紀行である。
日本語では『数の悪魔』が最も広く読まれている。詩と評論も訳がある。
文学史における立ち位置と影響
エンツェンスベルガーは、戦後西ドイツの知識人を代表する。詩人であり評論家であり編集者であるという複合的な立場は、この時期のドイツで独自のものだった。
雑誌『クルスブーフ』の影響が大きい。1968年前後の議論の場を作り、以後の政治的な言説の枠組みを規定した。1968年に文学の死を宣言したことは、当時の文学者の自己認識を象徴する出来事として語られる。ただしエンツェンスベルガー自身は、その後も詩を書き続けている。
メディア論の先駆としても評価される。受け手が発信者になる構造への指摘は、インターネット以後になって再読された。
政治的な立場を固定しなかったことが、その特徴であり批判の対象でもある。左翼から出発し、左翼を批判し、湾岸戦争では介入を支持して旧来の同志と対立した。一貫性のなさと見るか、疑い続ける姿勢と見るかで評価が分かれる。
出版人としての仕事も残った。「別の図書館」の叢書は、忘れられた書物を体系的に復刊するという企画として、ドイツ語圏の読書環境に影響を与えている。
同世代のグラスやベルが小説によって過去と向き合ったのに対し、エンツェンスベルガーは批評と詩によって現在を扱った。戦後ドイツの作家の役割のもう一つの型にあたる。
日本では『数の悪魔』を通じた知名度が高く、詩人・評論家としての紹介は限られている。