寛容論

原題
Traité sur la tolérance
作者
ヴォルテール
成立
1763
フランス
時代
18世紀

概要

1763年に刊行された評論である。全二十五章。

執筆の直接の理由は、前年に起きた一つの裁判にある。トゥールーズの商人ジャン・カラスが、息子を殺した罪で車裂きの刑に処された。カラスはプロテスタントで、息子がカトリックに改宗しようとしたのを阻むために殺した、というのが判決の理由だった。

ヴォルテールは事件を調べ、冤罪だと判断した。以後三年にわたって運動を続け、この本もその一部として書かれた。

内容は事件の経過の説明から始まり、そこから宗教的な不寛容の歴史へ広がる。古代の宗教が互いを許容していたこと、キリスト教の内部で行われた迫害、そして寛容を認めても社会は壊れないという論証が並ぶ。

理論書ではなく、進行中の事件に介入するために書かれた文書にあたる。

事件を知ったとき、ヴォルテールは六十七歳で、スイス国境に近いフェルネーに住んでいた。当初はカラスが有罪だと考えていたが、生き残った次男に会い、関係者から証言を集めるうちに判断を変えた。

以後の運動は組織的だった。ヴォルテールは家族をフェルネーに引き取り、弁護士を雇い、パリの有力者に手紙を書き、事件を論じる文書を次々に出した。この本もその一つにあたる。

1765年3月、パリの高等法院はカラスの判決を破棄し、全員一致で無罪とした。国王からは遺族に補償が出た。処刑から三年後である。

ヴォルテールはこの後も同種の事件に関わった。1766年のラ・バール事件では、若い貴族が十字架を傷つけた嫌疑で拷問され、斬首のうえ焼かれた。その遺体とともに焼かれたのが、ヴォルテールの哲学辞典だった。この件でも名誉回復を求めたが、実現したのはフランス革命後である。

ヴォルテールは1778年、八十三歳で死去した。

文学史における評価と影響

書物によって司法の判断が覆された例として扱われる。ヴォルテールは弁護士でも当事者でもない。文書を書き、世論を作り、判決を変えさせた。

この形は、後に「知識人の介入」と呼ばれるものの原型にあたる。1898年、ゾラがドレフュス事件で「私は弾劾する」を新聞に発表したとき、この系譜が意識されている。ドレフュス事件も、軍人が冤罪で有罪とされ、世論の力で再審に至った事件である。

内容の面では、寛容を信仰の問題ではなく社会の問題として論じた点が要にあたる。ヴォルテールは、どの宗教が正しいかを論じていない。異なる信仰の者が同じ社会で暮らせるかどうかだけを問題にする。

同時に、ヴォルテールの寛容が及ぶ範囲には限界がある。ユダヤ教についての記述には、当時の偏見が色濃く残っている。この点は20世紀以降、繰り返し指摘されてきた。

2015年1月、パリで新聞社が襲撃された事件の後、フランスでこの本の売上が急増した。刊行から二百五十年を経て、増刷が繰り返される事態になった。

内容

第一章から第四章でカラス事件が扱われる。

1761年10月、トゥールーズのカラス家で、長男マルク=アントワーヌが死んでいるのが見つかった。首を吊った状態だった。

当時、自殺者の遺体は市中を引き回して晒す決まりがあった。家族はこれを避けようとし、当初は事情を偽った。この点が疑いを招く。

町では、息子がカトリックに改宗しようとしていたという噂が立った。証拠はない。それでも群衆が集まり、死んだ息子を殉教者として扱う集会が開かれた。

裁判は町の司法官によって行われた。物証はなく、証言も伝聞だけだった。父ジャン・カラスは拷問にかけられたが、最後まで否認した。1762年3月、車裂きの刑が執行された。六十八歳だった。

家族は財産を没収され、散り散りになった。

第五章以降が議論にあたる。

ヴォルテールはまず、不寛容が信仰の要求ではないことを論じる。古代のギリシアとローマでは、多くの神が並存し、他の民族の神も認められていた。迫害が始まるのは、一つの信仰だけが正しいとされてからである。

キリスト教の内部の争いも並べられる。異端審問、宗教戦争、聖バルテルミの虐殺——1572年8月、パリでプロテスタントが大量に殺された事件で、数千人が死んだ。同じ信仰を持つ者どうしが、細部の違いで殺し合ってきた経過が示される。

続いて、寛容を認めれば社会が乱れるという主張に反論する。ヴォルテールは実例を挙げる。オランダもイギリスも複数の宗派を認めているが、国は乱れていない。むしろ商業が栄えている。

第二十二章から二十四章で議論が広がる。異なる信仰を持つ者どうしが、何を共有できるか。ヴォルテールは、教義ではなく道徳の水準で一致できると論じる。

第二十三章が「神への祈り」と題されている。人間に向けてではなく、神に向けて語る形をとる。我々の弱く小さな体の違い、言葉の違い、習慣の違いが、憎み合う理由にならないようにしてほしい、という内容である。この章がこの本で最もよく引かれる。

末尾で、事件のその後の経過が報告される。

作者

登場する文学史