人工楽園
- 原題
- Les Paradis artificiels
- 作者
- シャルル・ボードレール
- 成立
- 1860
- 国
- フランス
- 時代
- 19世紀
概要
薬物の陶酔を、内側から詳しく書いたうえで、それを退ける本である。二部からなり、第一部「ハシシの詩」はボードレール自身の観察による。第二部「阿片吸引者」はイギリスの作家トマス・ド・クインシーの『阿片常用者の告白』を要約し、注釈を織り込んだ翻案で、翻訳と批評の中間にあたる形式をとる。
書かれているのは、陶酔の段階の記述である。理由のない陽気さ。感覚の鋭敏化——音が色を持ち、色が音を発する。時間と空間の変容。そして自我の拡張。最後の段階で、人間は自分を神のように感じる。
ボードレールが問題にするのはそこである。陶酔が開くのは確かに楽園だが、それは借り物であり、翌日には代償が来る。意志は萎え、身体は衰える。しかも、ハシシは何も与えていない。すでにその人の中にあったものを拡大しただけである。 ボードレールはこれを「鏡を拡大するだけだ」と書く。
賛美でも単純な断罪でもない、この両義的な姿勢がこの本の特質にあたる。
ボードレールは1840年代からパリの「ハシシ吸飲者クラブ」に出入りしていた。ゴーティエ、ネルヴァル、ドラクロワらが加わった集まりで、ここで作用を観察している。本人がどの程度常用していたかには議論があり、むしろ観察者としてそこにいたという見方も強い。 一方、当時鎮痛剤として広く使われた阿片チンキを生涯服用していたことは確かである。
第一部は1858年に雑誌に発表され、1860年に一冊にまとまった。悪の華の裁判の三年後にあたり、ボードレールは貧窮と健康の悪化に苦しんでいた。
文学史における評価と影響
薬物による意識の変容を正面から論じた最初期の著作の一つであり、ボードレールの詩論を理解するうえでも重要な位置を占める。
核心は「人工の」楽園という言い方にある。楽園であることは認める。だが人工である、と限定する。この一語に判断のすべてが込められている。
判断の基準になっているのは意志である。ボードレールにとって、詩は霊感の産物ではない。意志と労働による構築である。 薬物はその意志を蝕む。だから退けられる。真の詩人は意志によってこの楽園に至る、と書かれる。この詩観は後のマラルメやヴァレリーの主知的な詩論につながっていく。
感覚の交錯の記述は、ボードレールの詩と直結している。音が色を持ち、香りが音を発する。この「万物照応」の観念は悪の華の詩「万物照応」に結晶し、後の象徴派の中心的な詩法になった。この本は、その観念がどこから来たかを示す資料でもある。
背景には近代の都市と退屈という主題がある。都市生活が生む倦怠と、そこから逃れようとする「無限への嗜好」。ボードレールはこの渇望を人間の根本的な条件として捉えた。薬物はその現れの一つにすぎない、という位置づけになっている。
後世への影響も大きい。意識の変容を扱った20世紀の文学は、繰り返しこの本に立ち返った。同時に、ボードレールの結論がしばしば無視されてきたことも指摘される。陶酔の記述だけが引かれ、その否定は読み落とされる。
内容
第一部「ハシシの詩」。
まず、人間が常に日常を超えた状態を求めてきたことが指摘される。酒、香、そして薬物。無限への嗜好が人間にはある。
そしてハシシの作用が段階を追って記述される。
初めは理由のない陽気さである。些細なことが可笑しく、笑いが止まらない。次に感覚の鋭敏化。音が色を持ち、色が音を発する。音、色、香りが互いに通じ合う。
さらに時間と空間の変容。一分が一年のように長く感じられ、部屋が無限に広がる。そして自我の拡張。自分が周囲の事物と一体になり、また宇宙の中心であるかのように感じられる。
ボードレールはこの最後の段階を最も危険なものとして指摘する。陶酔の極みで、人間は自分を神のように感じる。だがそれは傲慢であり、幻想である。
そして翌日、代償が来る。意志は萎え、身体は衰え、精神は鈍る。ハシシは何も与えていない。与えたように見えるのは、すでにその人物のうちにあったものが増幅されただけである。
結論は厳しい。陶酔によって得られるものはない。失われるのは意志であり、意志こそ人間が最も高いものへ至るために必要なものである。
第二部「阿片吸引者」。
ド・クインシーの著作の翻案である。少年時代の貧困と放浪、阿片との出会い、その快楽、そしてその後の悪夢。ボードレールは内容を要約しつつ、自分の注釈を織り込んでいく。他人の体験が、ボードレールの言葉で語り直される形になっている。