モロイ

原題
Molloy
作者
サミュエル・ベケット
成立
1951
フランス
時代
20世紀以降

概要

二つの独白でできた小説である。章が二つしかなく、第一部は段落がほとんど切れない。地の文と会話の区別もない。

第一部は老人モロイの語りである。母を探して彷徨っているが、母がどこにいるのか、なぜ探しているのかは本人にも分からない。松葉杖をつき、自転車に乗り、やがて歩けなくなって地面を這う。記憶は混乱し、語りは絶えず脱線し、いま語ったことをすぐに取り消す。

第二部は探偵モランの報告書である。几帳面で宗教的で秩序を重んじる男が、上司からモロイを探し出せと命じられて旅に出る。そして探索の途上で、モラン自身がモロイに似ていく。 膝が硬直し、持ち物を失い、息子に去られ、信念が崩れる。

筋はなく、目的は達成されない。モロイは母にたどり着かず、モランはモロイを見つけない。あるのは語り続ける声だけである。

ベケットは第二次大戦後の1946年から1950年にかけて、集中的にこの三部作とゴドーを待ちながらを書いた。本人がこの時期を「熱狂の時期」と呼んでいる。

決定的なのは、この時期からフランス語で書いたことである。母語の英語では修辞が豊かになりすぎる。外国語で書くことで、ベケットは文体から装飾をそぎ落とした。後に自分で英語に訳し直している。

三部作は当初どの出版社にも断られ続け、ようやく1951年から53年にかけて小さな出版社から刊行された。

文学史における評価と影響

20世紀の小説の解体を示す記念碑的な作品とされる。

革新は小説の約束事をすべて外した点にある。筋がない。人物の性格も動機もはっきりしない。目的は達成されない。意味も結末も与えられない。19世紀以来の小説が拠ってきたものを、ベケットは根こそぎ取り払った。それでも読めてしまう、という事実がこの作品の証明にあたる。

身体の崩壊という主題が全体を貫く。モロイもモランも次第に歩けなくなり、這うようになり、動けなくなる。この下降は三部作を通じて進み、マロウンは死ぬでは寝たきりの老人になり、名づけえぬものでは身体も名前も失われ、語る声だけが残る。三冊かけて人間から要素を一つずつ引いていく実験である。

語りの自己否定も大きな特徴にあたる。語り手は絶えず自分の語ったことを疑い、訂正し、否定する。モランの報告書は、末尾で冒頭の一文を取り消して終わる。語りは自らの真実性を保証できない、という構えは、20世紀後半の小説に広く受け継がれた。

同時に、この作品は笑える。モロイの脱線した独白、身体の崩壊をめぐる滑稽な記述、どうでもいい細部への異様なこだわり。石を十六個持ち歩き、どの順に舐めるかを延々と検討する場面がその代表にあたる。絶望的な状況を笑いで持ちこたえるという姿勢は、ベケットの作品に一貫している。

ベケットは1969年にノーベル文学賞を受賞した。

あらすじ

第一部。モロイの独白。

私は母の部屋にいる、いまは私がそこに住んでいる、どうやってここへ来たのか分からない——こう始まる。モロイは母の部屋で書いている。毎週男がやって来て、書いた紙を持ち去り、金を置いていく。

そしてモロイは、母を探して彷徨った日々を回想する。松葉杖をつき、自転車に乗り、あてどなく進む。身体は次第に壊れていく。 片脚が硬直し、やがてもう一方も動かなくなる。歩けなくなると地面を這って進む。

途上でさまざまな人物と出会う。警官に捕らえられて尋問される。ある老女の家にしばらく住み着く。犬を轢き殺してしまう。だがこれらの出来事は脈絡なく並び、互いにつながらない。記憶は混乱し、語りは絶えず脱線し、語ったことを否定する。

ついにモロイは森を抜け、溝に落ちる。動けない。母にはたどり着かない。 それでも語りは続く。

第二部。モランの報告書。

真夜中である、雨が窓を打っている——探偵ジャック・モランはこう報告書を書き始める。几帳面で宗教的で秩序を重んじる人物で、息子と二人、整った家に暮らしている。

ある日、上司の使者が来て、モランにモロイを探し出せと命じる。モランは息子を連れて旅に出る。

だが旅が進むにつれて、モランは変わっていく。膝が硬直して歩けなくなる。息子は去っていく。持ち物は失われる。几帳面な秩序も宗教的な信念も崩れていく。モランは次第にモロイに似てくる。

やがてモランは家に帰り着く。だが家は荒れ果て、蜜蜂は死に、鶏はいない。妻もいない。モランは報告書を書く。

そして報告書の最後で、モランは自分が冒頭に書いたことを否定する。真夜中ではなかった。雨は降っていなかった。 語られたことがその末尾で取り消され、作品は閉じられる。

作者

登場する文学史