マロウンは死ぬ
- 作者
- サミュエル・ベケット
- 成立
- 1951
- 国
- フランス
- 時代
- 20世紀以降
概要
死を待つ老人がベッドに寝たまま、物語を語り続ける小説である。
ベケットの小説「三部作」は、モロイ・『マロウンは死ぬ』・名づけえぬものの三作からなる。この作品はその第二部にあたる。
主人公マロウンはどこかの部屋のベッドに、寝たきりになった老人である。彼はもう自分では動けず、ただ死を待っている。 何の物語も、もはや残されていない。だがマロウンは死ぬまでの時間をやり過ごすために、自分で作り話を語り始める。
マロウンはサポという少年や、マクマンという男の話を語る。だがその物語はたえず中断され、脱線し、崩れていく。語り手のマロウン自身の身体の衰えや、部屋の観察や、持ち物の点検が、絶えず割り込んでくる。物語ることと、死につつある自分とが、混じり合っていく。
やがてマロウンの語りは、意味をなさなくなり、断片化していく。そして最後の言葉が途切れると同時にマロウン自身も、消えていく。 死と、物語の終わりとが、一つになる。
「語ること」そのものを主題にした、極限の小説であり、意味も筋も剝ぎ取られた、存在の消滅を見つめる作品にあたる。
文学史における評価と影響
ベケットの小説「三部作」の第二部であり、二十世紀の実験小説を代表する作品とされる。
三部作はモロイから、この『マロウンは死ぬ』を経て、名づけえぬものへと進むにつれ、物語も、人物も、意味も、しだいに解体されていく。この第二部では主人公は、もはや動くことすらできず、ただ寝たまま、死を待ちながら語る。行動の文学から、純粋な「語り」の文学へと、極限まで切り詰められている。
主題は死と、語ることの関係である。マロウンは死ぬまでの時間を埋めるために、物語を語る。だがその物語はたえず崩れ、語り手自身の死につつある現実に、呑み込まれていく。 物語ることが、そのまま、消えていくことと、重なり合う。
ベケットの徹底した否定の精神が、ここに現れている。彼は小説から、筋、意味、希望といったものを、次々に剝ぎ取っていく。残るのはただ、語らずにはいられない声と、その声が向かう、無だけである。
暗く、救いのない世界でありながら、そこには、独特のユーモアと、詩的な強度がある。ベケットはゴドーを待ちながらの戯曲とともに、この三部作の小説によって、二十世紀後半の文学に、決定的な影響を与えた。
あらすじ
主人公マロウンは老人である。彼はどことも知れぬ、ある部屋のベッドに、寝たきりになっている。もう自分の力では起き上がることも、歩くこともできない。 誰かが、時おり、食事の皿を運んでくるらしいが、その相手の顔も、はっきりとは分からない。
マロウンは自分がもうすぐ死ぬことを、知っている。残された、死ぬまでのわずかな時間を、彼は、どうにかしてやり過ごさねばならない。
そこでマロウンは決める。「その時が来るまで、自分で物語を語って、退屈をしのごう」と。彼はいくつかの作り話を、順に語っていくことにする。
マロウンはまずサポという名の風変わりな少年の物語を語り始める。だがその語りは少しもまっすぐには進まない。すぐに脱線し、中断し、崩れていく。
というのも語り手であるマロウン自身の生々しい現実が、たえず物語のなかに割り込んでくるからである。自分の衰えていく身体の観察。ベッドの周りの乏しい持ち物の点検。窓の外の光。そして迫りくる死の気配。 マロウンは、語る物語と、死につつある自分自身とのあいだを、行きつ戻りつする。
やがてサポの物語はマクマンという中年男の物語へと、姿を変える。マクマンは施設に収容され、そこで奇妙な扱いを受ける。だがこの物語もまた明確な筋を結ばぬまま、断片へと崩れていく。
そして時が経つにつれ、マロウンの語りは、しだいに意味をなさなくなっていく。 言葉は、ばらばらになり、文は、途切れ途切れになる。物語の登場人物と、マロウン自身との区別も、曖昧になっていく。
最後、マロウンの語りは、もはや意味を失った、断片的な言葉の連なりへと、解体しきる。
そしてその途切れ途切れの言葉が、ふつりと止むのと同時にマロウン自身もこの世から、静かに消えていく。
死ぬことと、語りが終わることが、一つに溶け合う。存在が消えていくその瞬間までを、「語ること」そのものとして描いて、この小説は閉じられる。