場所

作者
アニー・エルノー
成立
1983
フランス
時代
20世紀以降

概要

田舎町で店を営んだ父の生涯を感情を排した簡潔な文体で描いた作品である。

アニー・エルノーは、二〇二二年にノーベル文学賞を受けた作家である。この『場所』は、彼女の名を確立した、自伝的な作品にあたる。

エルノーの父は貧しい農民の出だった。苦労して、田舎町でカフェ兼食料品店を持つまでに身を立てた。 だが教育を受けられなかった父は、言葉づかいも、ふるまいも、労働者階級のものだった。

一方娘であるエルノーは、教育を受け、教師となり、上流の文化の世界へと移っていく。そのため娘と父のあいだには、埋めがたい溝が生まれる。 娘は、父の粗野な言葉や、コンプレックスを恥じる。父は上の階級へ上がった娘を前に気後れする。

エルノーは父の死をきっかけにこの本を書く。彼女は父を美化することも、感傷的に語ることもしない。 意図的に感情を抑えた、平明で簡潔な文体で父の生涯と二人のあいだの階級の断絶を記録していく。

「文学的」な美文をあえて拒む。労働者階級に生まれた父を上流の文化の言葉で飾ることは、裏切りになる。その禁欲的な姿勢こそが、この作品の核心である。

文学史における評価と影響

アニー・エルノーの代表作であり、その独自の文体と方法を確立した作品とされる。ルノードー賞を受賞した。

この作品の核心は「平板な文体(écriture plate)」にある。エルノーは父を描くのに美しい比喩や、感情的な言葉を意図的に排する。なぜなら、父は、労働者階級の人間であり、そうした「文学的」な言葉は父の生きた世界のものではないからである。 感情を抑えた簡潔な文体こそが、父への真の誠実さだった。

主題は階級の移動とそれがもたらす断絶である。貧しい生まれの父と教育によって上の階級へ移った娘。その二人のあいだの埋めがたい溝をエルノーは、冷静に見つめる。 教育を受けることは、生まれ育った階級を裏切り、捨てることでもある。その痛みが作品を貫いている。

社会学と文学の融合という点でも重要である。エルノーは社会学者の視点で階級というものを分析しながら、それを個人的な父娘の物語として、描く。私的な体験を社会の構造の証言へと高める。 この方法が、後の歳月などへと発展していく。

自伝的でありながら、感傷を排したこの作品は、現代の自伝文学の新しい形を切り開いた。ノーベル文学賞受賞につながる、エルノー文学の原点にあたる。

内容

『場所』はアニー・エルノーが、亡くなった父の生涯を回想した、自伝的な作品である。

エルノーはまず父の死の場面から筆を起こす。そしてその父がどのような人間だったかをたどっていく。

父はフランスの田舎の貧しい農民の家に生まれた。幼くして働きに出され、まともな教育は、受けられなかった。だが彼は勤勉に働き、少しずつ、身を立てていった。工場労働者を経て、ついには、小さな町でカフェ兼食料品店を持つまでになる。それは労働者階級からささやかな自営業者へと上がったことを意味した。父にとって、この店という「場所」を得たことは生涯の大きな達成だった。

だが父は教育を受けていなかった。その言葉づかいは方言まじりで粗野だった。上流の文化や、洗練された作法に対して、父は、消えることのないコンプレックスを抱いていた。

一方その娘であるエルノーは、勉強ができた。彼女は教育を受け、上級の学校へ進み、やがて教師になる。そして上流の教養ある文化の世界へと移っていく。

こうして娘は父の生まれ育った、労働者の世界から離れていく。父と娘のあいだには埋めがたい溝が、生まれる。

娘は帰省するたびに父の粗野な言葉づかいや、卑屈なほどのコンプレックスを心のどこかで恥じてしまう。父もまた上の階級へと上がっていく娘を前に気後れし、どう接してよいか、分からなくなる。互いを愛しながらも二人は、階級という壁によって、隔てられている。

エルノーはこの父と二人の関係を描くにあたって、一つの明確な決意をする。それは「文学的」な、美しい文体をいっさい使わない、ということである。

なぜなら、父は、そうした洗練された言葉とは、無縁の世界を生きた人間だからである。その父を美文で飾り立てることは、父を彼が属したことのない世界の言葉で裏切ることになる。 だからエルノーは、感情を抑え、比喩を排し、平明で簡潔な、事実に即した文体だけで父の生涯を記録していく。

貧しい生まれから店という「場所」を得るまでの父の生涯。そして教育によって、その父の世界を離れていった、娘との断絶。それらを禁欲的な文体で静かにしかし深く見つめて、この作品は閉じられる。 階級と教育をめぐるこの記録は、エルノー文学の出発点となった。

作者

登場する文学史