無垢と経験の歌
- 原題
- Songs of Innocence and of Experience
- 作者
- ウィリアム・ブレイク
- 成立
- 1794
- 国
- イギリス
- 時代
- 17-18世紀
概要
普通の印刷物ではない。ブレイクは職業が銅版画の彫師で、この本を自分で作った。一枚の銅版に詩の文字と絵をまとめて彫り、刷り、一部ずつ手で色を塗る。したがって現存する数十部は、どれも色が違う。詩と絵が同じ画面にあり、切り離せない。
分量は少ない。1789年に出した『無垢の歌』が19篇、1794年に加えた『経験の歌』が26篇。一篇はたいてい四行連が三つか四つで、童謡や讃美歌と同じ調子で読める。
副題に「人間の魂の相反する二つの状態を示す」とある。同じ題名の詩が両方に置かれ、対になっている。「無垢」の側では羊飼いと子羊と神が穏やかに描かれ、「経験」の側では同じ光景が搾取と抑圧として現れる。読者は両方を突き合わせて読むことになる。
平易な言葉と、扱われている中身のずれが大きい。煙突掃除に売られた幼児、飢えた子どもの列、教会と国家の欺瞞。わらべ歌の調子で、当時のロンドンの現実が書かれている。
文学史における評価と影響
生前はほとんど読まれなかった。手作りのため一部ずつしか作れず、生涯に刷った数は全部合わせても数十部にとどまる。ブレイクは同時代には無名の彫師であり、正気を疑う声すらあった。
事情が変わるのは死後三十年以上たってからである。1863年に伝記が出て、ラファエル前派の画家たちがその絵を高く評価した。詩の側の再評価はさらに遅れ、19世紀末にイェイツが編集した詩集によって、幻視の詩人として位置づけが定まる。
現在ではロマン主義の先駆に置かれる。抒情民謡集の9年前に、すでに日常の言葉で普通の人々を歌っていたためである。ただしブレイクの詩は、ワーズワースのように自然のなかの感情を歌うのではなく、社会の仕組みそのものを攻撃する点で性格が違う。
詩と絵を一体として作ったことも、後世に読み直された。20世紀に入って、書物を印刷所任せにせず作り手が全体を設計する試みの先例として参照されている。
内容
『無垢の歌』は、笛を吹く牧童が子どもに歌をせがまれる導入から始まる。「子羊(The Lamb)」では、子どもが子羊に向かって、誰がお前を作ったのかと問い、自分で答える。作ったのは、子羊とも子どもとも呼ばれる者だ、と。羊飼い、天使、母に守られた世界が続く。
ただし『無垢の歌』にも影がある。「煙突掃除の少年(The Chimney Sweeper)」では、母を亡くして父に売られた幼児が、煤にまみれて働きながら、天使が来て救ってくれる夢を見る。目覚めて仕事に戻り、務めを果たせば怖いものはないと自分に言い聞かせて終わる。
『経験の歌』は同じ光景を裏返す。「虎(The Tyger)」は「子羊」の対で、闇の森に燃える虎を前に、これを作ったのは誰かと問い続ける。子羊を作った者が、この虎も作ったのか——問いは答えられないまま終わる。
同題の「煙突掃除の少年」では、雪のなかの子どもが、両親は教会へ行った、自分が幸せそうにしていたので苦しみを与えても平気なのだ、と語る。「ロンドン(London)」は、通りで会う誰の顔にも弱さと悲しみの跡があると述べ、その原因を人が自ら作った枷に見る。
対になる詩を並べて読むと、同じ言葉が正反対の意味になる。無垢は美徳ではなく、まだ何も知らない状態として書かれている。