トマス・ワイアット

原綴
Thomas Wyatt
生没
1503–1542
出身
ケント州アリントン城(ロンドン南東・約50km)
イギリス
時代
ルネサンス

生涯

1503年、ケント州の名家に生まれた。ケンブリッジで学び、二十代からヘンリー八世の宮廷に仕えて、外交使節としてフランス・イタリア・スペインへ渡っている。1527年のイタリア行きが、詩の上では決定的だった。当時のイタリアではペトラルカにならったソネットが盛んで、その形式を持ち帰ることになる。

宮廷での立場は安定しなかった。1536年、王妃アン・ブーリンの処刑に連座してロンドン塔に投獄される。ワイアットは処刑前のアンと親しかったと見られており、塔の窓から処刑を見たとする詩が残る。このときは釈放されたが、1541年にも反逆の嫌疑で再び投獄された。翌1542年、王の使いとして出向いた先で熱病にかかり、39歳で死去した。

作風

詩の多くは、報われない恋を歌う。イタリアのペトラルカが手本だが、単なる翻訳ではない。原詩では愛を捧げる相手が理想化された女性であるのに対し、ワイアットの詩では相手が去っていく側として描かれ、裏切りと苦さが前に出る。宮廷という、寵愛の失われやすい場所で書かれたことと切り離せない。

音の運びは、後の整った英語詩と比べるとごつごつしている。弱強のリズムが規則正しく揃わない行が多い。死後の刊行時には編者がこれを「直して」しまったが、現在ではその不揃いさこそが、話し言葉に近い緊張を生んでいると評価されている。

作品

詩は生前に印刷されておらず、手写しで宮廷内に回覧された。まとまって世に出たのは死後15年を経た1557年、印刷業者の名をとって『トテルの詞華集(Tottel's Miscellany)』と呼ばれる詞華集による。ここにワイアットの詩がおよそ100篇収められ、サリー伯の作とともに並べられた。

代表作とされる「狩りをしたい者は(Whoso list to hunt)」は、ペトラルカの一篇を下敷きにしながら、捕らえられない雌鹿に「われに触れるな、われはカエサルのもの」という首輪をかける。この鹿をアン・ブーリンと重ねる読み方が古くからある。

文学史における立ち位置と影響

英語でを書いた最初の詩人である。14行という枠、恋を主題にすること、比喩を積み上げて最後で転じる作り方——イタリアで完成していたこの形式を英語へ移した。以後、エリザベス朝で大量のソネットが書かれ、シェイクスピアソネット集に至る流れは、ここから始まる。

ただしワイアットが移したのはイタリア式の韻の型で、これを英語で扱いやすい形に組み替えたのは、少し年下のサリー伯だった。英語詩がヨーロッパ大陸の形式を取り込んだ最初の局面を、この二人が担っている。

登場する文学史