ヘンリック・イプセン

原綴
Henrik Ibsen
生没
1828–1906
出身
シーエン(ノルウェー)
イギリス
時代
ヴィクトリア朝

生涯

1828年、ノルウェー南部のシーエンに生まれた。裕福な商家だったが、八歳のとき父が破産する。この転落と、それに伴う世間の態度の変化が、後の作品の背景にある。

十五歳で薬局の徒弟になった。十八歳のとき、雇い主の家の女中との間に子をもうけている。認知はせず、二十代を通じて養育費を払い続けた。

大学入学に失敗し、劇場で働き始める。ベルゲンとクリスチャニア(現オスロ)の劇場で、演出と脚本を担当した。この時期の作品は評価されず、劇場は経営に行き詰まる。

1864年、奨学金を得てイタリアへ渡った。以後二十七年、ローマ、ドレスデン、ミュンヘンに住み、ノルウェーへ戻らなかった。故国の狭さと偽善への嫌悪が理由である。主要な作品はすべて国外で書かれた。

1866年の『ブラン』と翌年の『ペール・ギュント』で名を確立する。1879年の『人形の家』は各国で上演され、同時に激しい論争を引き起こした。

1891年に帰国し、以後はクリスチャニアで暮らした。1900年に脳卒中で倒れ、以後書けなくなる。1906年、78歳で死去した。

作風

イプセンが舞台に上げたのは、同時代の市民社会の問題である。

それ以前の演劇は、歴史上の人物か、類型化された喜劇の人物を扱っていた。イプセンは、現在のノルウェーの市民の居間を舞台に置いた。弁護士、医師、銀行家、その妻。扱われるのは、借金、遺伝病、体面、そして既婚女性が夫の同意なしには借金も契約もできなかったという法の制約である。

構成の方法に特徴がある。劇が始まる時点で、事態はすでに起きている。過去の秘密が幕が上がる前に存在し、劇の進行はそれが暴かれていく過程になる。『人形の家』では、ノラが夫のために偽造した借用証書が、劇の開始時にすでに存在する。この「分析的な劇構成」が、以後の演劇の標準になった。

台詞は日常の散文である。韻文を捨て、人物がその階層の言葉で話す。会話の表面は当たり障りがなく、その下で状況が進行する。

解決を示さないことも特徴にあたる。『人形の家』は、ノラが家を出る音で終わる。その後どうなるかは書かれない。『幽霊』では、遺伝性の病で崩れていく息子が母に安楽死を求め、母が薬瓶を手にしたところで幕が下りる。

後期になると象徴的な要素が強まる。野鴨、塔、白鳥、雪山。現実の場面に置かれた事物が、同時に別の意味を帯びる。

作品

『ブラン』(1866年)と『ペール・ギュント』(1867年)は韻文による大作である。前者は妥協を拒む牧師、後者は嘘と逃避で生きる男を主人公にする。『ペール・ギュント』にはグリーグが劇付随音楽を作曲した。

『人形の家』(1879年)

最も知られている。ノラは夫ヘルメルの病気を治すため、父の署名を偽造して金を借りた。それを知った夫は、ノラを犯罪者として罵り、自分の体面を守ることだけを考える。脅迫が解けると夫は態度を戻すが、ノラは自分がこの家で人形として扱われてきたと気づく。そして、自分は妻であり母である前に一人の人間だと告げ、三人の子を残して家を出る。

『幽霊』(1881年)

夫の梅毒を隠して家を守った未亡人と、それを受け継いで発症した息子を扱う。当時、上演を拒否する劇場が相次いだ。

『民衆の敵』(1882年)

温泉の水質汚染を告発した医師が、町の経済のために町民全体から敵とされる話である。

『野鴨』(1884年)では、真実を告げようとする人物が、かえって一家を破壊する。

『ヘッダ・ガーブレル』(1890年)

退屈と閉塞のなかで他人の人生を操ろうとする女性を主人公にする。

日本語では『人形の家』が読みやすい。

文学史における立ち位置と影響

イプセンは「近代演劇の父」と呼ばれる。同時代の市民社会を舞台に上げ、解決を示さずに問題を提示するという形式を確立した。

その影響は各国に及んだ。イギリスではバーナード・ショーが『イプセン主義神髄』を書いて擁護し、自らの劇の方法にした。ジョイスは十代でイプセンに傾倒し、ノルウェー語を学んで手紙を書いている。ドイツではハウプトマンの演劇の出発点をここに置いた。ロシアではチェーホフがこれを踏まえつつ、劇的な事件そのものを消す方向へ進んだ。

『人形の家』は、女性の位置をめぐる議論の材料になり続けた。初演当時、結末が過激だとしてドイツでは別の結末での上演が求められ、イプセン自身が不本意ながら改変版を書いている。イプセン自身はこの作品を女性解放の劇として書いたのではないと述べたが、その受け取られ方が作品の歴史を作った。

日本での受容も早い。1906年に坪内逍遥らが「イプセン会」を作り、1911年、島村抱月の文芸協会が『人形の家』を上演した。松井須磨子がノラを演じ、大きな反響を呼んでいる。この上演が平塚らいてうらの『青鞜』の議論と結びつき、日本の女性解放運動の一つの契機になった。近代劇の受容そのものが、この作家から始まっている。

なお、このサイトでは所属をイギリスに置いているが、イプセンはノルウェー語で書いたノルウェーの劇作家である。参照するページが英語圏に集中するための便宜的な配置にあたる。

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