山羊の歌
- 作者
- 中原中也
- 成立
- 1934
- 国
- 日本
- 時代
- 近代
概要
中原中也が、生前に出したただ一冊の詩集である。
中也は、二十代のはじめから詩を書き、この第一詩集を、自費に近い形で刊行した。収められているのは、澄んだ悲しみと、独特の音楽性をたたえた抒情詩である。
最もよく知られるのが、「汚れつちまつた悲しみに」である。「汚れつちまつた悲しみに/今日も小雪の降りかかる」——同じ言葉を繰り返しながら、取り返しのつかない悲しみを、歌うようにうたう。 その哀切な調べは、日本の近代詩で最も愛誦される一節となった。
中也の詩の特徴は、歌のような響きである。中也は、フランスの詩人ヴェルレーヌに深く傾倒し、言葉の意味だけでなく、その音の流れ、リズムを重んじた。声に出して読むと、旋律のように響く。 それが、中也の詩の大きな魅力にあたる。
主題は、失われたものへの、癒えない悲しみである。幼くして弟を亡くし、愛する人に去られ、中也は、深い喪失感を抱えて生きた。その悲しみが、澄んだ、しかしどこか幼子のような純粋さで、うたわれる。
題の「山羊の歌」には、汚れなき、しかし孤独な生き物のイメージが込められている。
文学史における評価と影響
中原中也の代表作であり、日本近代詩を代表する抒情詩集の一つにあたる。
中也の詩の最大の特徴は、その類まれな音楽性である。中也は、言葉を、意味を伝える道具としてだけでなく、音とリズムを持つ調べとして扱った。フランス象徴詩、とりわけヴェルレーヌの「詩は何よりもまず音楽を」という理念を、日本語で実現しようとした。 声に出したときの響きの美しさは、他に類を見ない。
主題は、純粋な悲しみである。中也の悲しみには、理屈や説明がない。幼子が泣くような、直接的で、澄み切った哀感が、そのままうたわれる。「汚れつちまつた悲しみに」の繰り返しは、その典型で、意味を超えて、悲しみの感触そのものを伝える。
「汚れつちまつた悲しみに」は、日本の近代詩で最も広く知られ、暗誦される詩の一つとなった。教科書にも採られ、世代を越えて読み継がれている。
中也は、生前はほとんど世に認められず、三十歳で早世した。だが死後、その詩の価値は広く認められ、今日では、宮沢賢治と並んで、最も愛される近代詩人の一人となっている。若くして死んだ、純粋な魂の詩人という中也像は、この第一詩集によって形づくられた。
内容
詩集『山羊の歌』は、中原中也が、二十代のはじめから書きためた詩を集めた、第一詩集である。1934年、自費に近い形で、わずかな部数が刊行された。
巻頭には、「春の日の夕暮」が置かれる。移りゆく夕暮れの光のなかに、そこはかとない寂しさをうたう、静かな一篇である。
詩集の中心をなすのが、「汚れつちまつた悲しみに」である。
「汚れつちまつた悲しみに/今日も小雪の降りかかる/汚れつちまつた悲しみに/今日も風さへ吹きすぎる」——同じ「汚れつちまつた悲しみに」という言葉を、繰り返し、繰り返し重ねながら、詩は進む。取り返しのつかないほど汚れ、傷ついてしまった悲しみ。その上に、小雪が降り、風が吹きすぎる。説明も理屈もなく、ただ悲しみの感触だけが、歌のように響く。
この詩の、繰り返しの生む調べと、澄んだ哀感は、日本の近代詩のなかでも、比類ない美しさとされる。
詩集には、亡き弟への思いをうたった詩や、幼い日の記憶をたどる詩も収められている。中也は、幼くして弟を亡くし、生涯、その喪失を抱え続けた。 失われたものへの、癒えることのない悲しみが、詩集の底に、一貫して流れている。
中也の詩の言葉は、時に、幼子のようにたどたどしく、時に、はっとするほど鮮やかである。「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」といった、意味を超えた音の連なり(「サーカス」)も現れ、言葉の響きそのものの魅力が、追求される。
孤独、悲哀、そして、汚れなきものへの憧れ。それらが、独特の音楽性をたたえた調べにのって、うたわれる。
生前、この詩集は、ほとんど反響を呼ばなかった。だが、ここに刻まれた澄んだ悲しみの調べは、中也の死後、多くの人の心をとらえ、日本近代詩の、かけがえのない達成として、読み継がれている。