在りし日の歌
- 作者
- 中原中也
- 成立
- 1938
- 国
- 日本
- 時代
- 近代
概要
中原中也が、自ら編集し、友に託して逝った、遺稿の詩集である。
中也は、この第二詩集の原稿を清書し、親友の小林秀雄に手渡した後、三十歳で世を去った。詩集は、中也の死の翌年、遺志のとおりに刊行された。 生前に出た山羊の歌に続く、二冊目の、そして最後の詩集にあたる。
この詩集の底に流れるのは、愛児を失った、深い悲しみである。中也は、長男の文也を、二歳で病により亡くした。この喪失は、中也を打ちのめし、一時は精神に変調をきたすほどだった。
亡き子への思いをうたった詩が、詩集の核心をなす。死んだ幼子は、もう帰ってこない。その動かしがたい事実を、中也は、繰り返し噛みしめる。声高に嘆くのではなく、静かに、澄んだ悲しみとして、うたう。
有名な「一つのメルヘン」では、さらさらと陽の射す、幻のような河原の情景が、透明な美しさでうたわれる。現実の悲しみの果てに開ける、澄み切った幻の世界である。
山羊の歌の若々しい憂愁に比べ、この第二詩集の悲しみは、より深く、より澄み、そして死の予感さえ漂わせている。
文学史における評価と影響
中原中也の到達点とされ、山羊の歌と並ぶ代表的な詩集にあたる。中也が自ら編んだ遺稿集という事情も、この詩集を特別なものにしている。
第一詩集山羊の歌の悲しみが、若者の漠とした憂愁だったのに対し、この第二詩集の悲しみは、具体的で、切実である。愛する我が子を失うという、動かしがたい喪失が、その中心にある。中也の悲しみは、ここで、いっそう深く、澄んだものになった。
亡児への挽歌は、日本の近代詩における、子を悼む詩の頂点とされる。中也は、感傷に流れることなく、失われた命への思いを、透明な調べにのせてうたった。その抑制された哀しみが、かえって胸を打つ。
「一つのメルヘン」などに見られる、澄み切った幻想の世界も、この詩集の魅力にあたる。現実の悲しみの極みで、ふと開ける、光に満ちた幻の情景。 中也の詩の音楽性と純粋さが、ここで、静かな完成に達している。
中也の死後、この詩集を託された小林秀雄をはじめとする友人たちの手で、中也の詩は世に伝えられた。若くして死んだ純粋な詩人という中也の像は、この遺稿詩集によって、決定づけられた。 今日、中也は最も愛される近代詩人の一人であり、その中心にこの詩集がある。
内容
詩集『在りし日の歌』は、中原中也が、みずから清書し、編集して、親友の小林秀雄に託した、最後の詩集である。中也は、この原稿を手渡した後まもなく、結核性の病により、三十歳で急逝した。詩集は、その遺志どおり、翌1938年に刊行された。
この詩集を貫く、最も深い主題は、亡き愛児への思いである。
中也は、長男の文也を、心から愛していた。だが、その文也は、わずか二歳で、病により世を去った。この幼い我が子の死は、中也を、底知れぬ悲しみの淵へと突き落とした。 中也は、一時、精神の均衡を失うほどに、打ちのめされた。
詩集には、この亡き子を悼む詩が、いくつも収められている。「またこないなどとは思うまい」と、死んだ子はもう帰らないという事実を、中也は、静かに、繰り返し、噛みしめる。声を上げて泣き叫ぶのではない。深い悲しみを、澄んだ、抑制された調べにのせて、うたう。 その静けさが、かえって、悲しみの深さを伝える。
一方で、この詩集には、「一つのメルヘン」のような、透明な幻想をうたった、忘れがたい名篇もある。
秋の夜、さらさらと陽の光が射す、小石ばかりの河原。そこに、一匹の蝶が舞い降り、やがて、乾いていた川床に、さらさらと水が流れ始める。現実にはありえない、幻のように美しい情景が、澄み切った言葉でうたわれる。現実の悲しみの果てに開ける、光に満ちた、静かな幻の世界である。
詩集の言葉は、山羊の歌と同じく、豊かな音楽性をたたえている。声に出して読むと、旋律のように響く、その調べの美しさは、変わらない。 だが、その悲しみは、より深く、より澄み、そして、自らの死の予感さえも、ひそかに漂わせている。
失われた命への挽歌と、澄み切った幻想。それらが、比類ない音楽性をたたえてうたわれるこの遺稿詩集は、中原中也という詩人の、清冽な魂の、最後の結晶となった。