友達
- 作者
- 安部公房
- 成立
- 1967
- 国
- 日本
- 時代
- 現代
概要
見知らぬ家族が「親切」を名目に押しかけ、一人の男を破滅させる不条理劇である。
安部公房は、砂の女や他人の顔の小説で知られるが、戯曲にもすぐれた作品を残した。この『友達』は、その代表作にあたる。
ある夜、一人暮らしの男の部屋に、見ず知らずの八人家族が、突然、押しかけてくる。祖母から幼い子どもまでの一見ふつうの家族である。彼らは、「孤独なあなたを、放ってはおけない」と言い、勝手に部屋に上がり込み、住みついてしまう。
男は、当然、抗議する。出ていけ、と怒鳴る。だが家族は、少しも動じない。「私たちは、あなたを愛しているのです」「困っているあなたを助けるのが、隣人の務めです」——あくまで善意と親切の言葉を並べながら、彼らは男の生活を、じわじわと乗っ取っていく。
男は、警察を呼ぼうとする。婚約者に助けを求めようとする。だが、家族は巧みに立ち回り、外部との連絡を断ち、逆に男を「わがままな問題人物」に仕立て上げていく。 善意の顔をした暴力の前に、男は、なすすべもなく追い詰められていく。
「親切」や「連帯」の名のもとに、個人が押しつぶされる。安部の集団と個人をめぐる鋭い批評が、この喜劇的で恐ろしい寓話に込められている。
文学史における評価と影響
安部公房の代表的な戯曲であり、日本の不条理演劇の傑作とされる。谷崎潤一郎賞を受賞した。
この作品の主題は、善意という名の暴力である。押しかけてくる家族は、悪意を持っているわけではない。むしろ、あくまで「親切」「愛」「連帯」を掲げている。だが、その善意の押しつけこそが、個人の自由と生活を、根こそぎ奪っていく。善意が、最も逃れがたい暴力になりうるという逆説を、安部は鋭く突いた。
集団と個人の対立という、安部の一貫した主題が、ここに現れている。砂の女が、共同体に個人が呑み込まれる話だったように、この戯曲もまた、集団の論理が個人を圧殺する構図を描く。 「一人でいるのは寂しいはずだ」という善意の決めつけが、孤独に生きる権利を否定する。
寓話としての普遍性が、この作品の強みである。押しかける家族が何を象徴するかは、明示されない。おせっかいな社会、全体主義、あるいは同調圧力。さまざまに読める抽象性ゆえに、この作品は時代や国を超えて上演されてきた。
喜劇の体裁をとりながら、その底に、ぞっとするような恐怖がある。笑いと戦慄が同居するこの不条理劇は、現代人の孤独と、集団の暴力を、鮮やかに照らし出す。 海外でも高く評価され、繰り返し上演されている。
あらすじ
ある夜、一人暮らしの男の部屋。婚約者もいて、仕事も順調な、ごくふつうの独身男が、一人、静かに夜を過ごしている。
そこへ、見知らぬ八人の家族が、突然、ドアを開けて入ってくる。祖母、父、母、そして息子や娘たち。年齢もさまざまな、一見ごくふつうの明るい家族である。
男は、当然、驚き、抗議する。あなたたちは誰だ、なぜ勝手に入ってくるのか、と。
だが、家族は、少しも悪びれない。にこやかに、こう言うのである。「あなたが一人で寂しく暮らしているのを、私たちは放っておけないのです」「困っている隣人を助けるのは、当然のことでしょう」。 そう言いながら、彼らは、勝手に部屋に上がり込み、荷物を運び入れ、そこに住みついてしまう。
男は、必死で抵抗する。出ていけ、と怒鳴り、力ずくで追い出そうとする。だが、家族は、あくまで「善意」と「愛」の言葉で応じる。 男が怒れば怒るほど、彼らは「かわいそうに、心が荒んでいる」と、いっそう「親切」に世話を焼こうとする。
男は、外部に助けを求めようとする。警察を呼び、婚約者に連絡し、この異常な事態を訴えようとする。
だが、家族は、巧みに立ち回る。彼らは、外から来た者に対しては、「私たちは、この孤独で問題の多い青年を、心配して世話をしている、善意の隣人です」と振る舞う。そのため、警察も婚約者も、かえって男のほうを、「わがままで、周囲に感謝しない、困った人物」と見なすようになる。男は、しだいに孤立させられ、逃げ道を断たれていく。
家族は、男の部屋を完全に占拠し、その生活のすべてを管理し始める。善意と親切の名のもとに、男の自由は、跡形もなく奪われていく。
抵抗もむなしく、男は、ついに、この「親切な」家族によって、檻のようなものに閉じ込められ、破滅へと追いやられていく。「あなたのためを思って」という言葉が、最も残酷な暴力となって、一人の人間を押しつぶす。
善意という逃れがたい暴力と、集団に呑み込まれる個人の孤独。笑いと戦慄の入り混じったこの不条理劇は、現代社会の恐ろしい一面を、鋭く照らし出して幕を閉じる。