私小説論

作者
小林秀雄
成立
1935
日本
時代
近代

概要

日本独特の「私小説」を西洋近代文学と対比し、その本質を論じた評論である。

小林秀雄様々なる意匠で批評家として登場した。この『私小説論』は、その小林が日本近代文学の根本問題に挑んだ評論にあたる。

「私小説」とは、作者が自分の身辺や内面をありのままに書く、日本近代文学に特有の小説の形である。小林はこの私小説を、西洋の近代小説と引き比べて考える。

西洋では、ルソーやフローベールらが、社会のなかに置かれた個人を描いた。社会と対決する「個人」がまず確立され、その上に近代小説が築かれた。ところが日本の私小説には、その「社会化された個人」という土台がない。作者はいきなり自分の内面へと沈み込み、社会との緊張を欠いたまま、身辺の事実を書く。

小林はここに日本の私小説の弱さを見る。社会という広がりを持たず、「私」の告白に閉じてしまう。だが同時に小林は、単純にそれを断罪しない。「私」をどう乗り越え、社会化された「私」をどう描くかという課題を、近代文学の宿題として突きつける。

日本の近代文学の特質を、西洋との対比で鋭く照らし出した批評にあたる。

文学史における評価と影響

日本近代文学論の古典とされる評論であり、小林秀雄の批評の代表作にあたる。「私小説」という日本文学の中心問題を、正面から論じた最初期の本格的な批評である。

小林の論の核心は、西洋近代小説と日本私小説の対比にある。西洋の近代小説は、社会のなかで葛藤する「個人」を描くところに成立した。その前提には、社会化された個人という近代の土台があった。 小林は、日本の私小説にはその土台が欠けていると見る。

「社会化した私」の不在が、小林の指摘する日本文学の弱点である。日本の作家は、社会と対決する個人を経ずに、いきなり自分の身辺と内面へ沈み込む。そのため私小説は、社会という広がりを欠き、告白に閉じてしまう。 この分析は、日本近代文学の特質をめぐる、その後の議論の出発点となった。

一方、小林はこの評論を、単なる私小説批判に終わらせない。「私」をいかに乗り越え、社会化された「私」をいかに描くかを、日本文学に残された課題として提示する。批判と、次への展望とが結びついている。

西洋文学と日本文学を大きく見渡し、日本近代文学の宿命を鋭く照らし出したこの評論は、以後の文学論に絶大な影響を与えた。「私小説」をめぐる議論は、この評論を避けては通れないものとなった。

内容

評論『私小説論』小林秀雄が発表した、日本近代文学の性格を論じた評論である。

「私小説」とは、作者が自分自身の身辺の出来事や、内面の心理を、ほぼそのまま書く小説の形をさす。告白的で、虚構よりも作者の実生活に密着したこの形式は、日本の近代文学に特有のものとして発達した。

小林はこの日本の私小説を、西洋の近代小説と引き比べて考察する。

西洋の近代小説を、小林はまずフランス文学にたどる。ルソーの告白から、バルザックやフローベールの小説へ。そこで描かれたのは、社会のなかに置かれ、社会と葛藤する「個人」だった。近代のヨーロッパでは、まず社会から独立した「個人」が確立され、その個人が社会とぶつかり合うところに、近代小説が生まれた。「社会化された個人」という土台が、近代小説を支えていた。

ところが、日本の私小説には、その土台がない。

日本の作家は、社会と対決する強固な「個人」を、まだ十分に持っていなかった。そのため作家は、社会という広い場を経由せず、いきなり自分の身辺や内面へと沈み込んでいく。 私小説にうたわれるのは、社会のなかで葛藤する個人ではなく、社会から切り離された「私」の生活と心境である。

小林はここに、日本の私小説の根本的な弱さを見る。社会という広がりを持たないために、私小説は「私」の告白に閉じてしまい、世界の全体へと開かれていかない。

だが小林は、私小説を単純に切り捨てるのではない。日本の作家がぶつかった、この「社会化された私」をどう獲得するかという問題を、近代文学に残された大きな課題として提示する。

「私」をいかに乗り越え、社会と切り結ぶ「私」をいかに描くか。その問いを突きつけることで、小林はこの評論を、単なる私小説批判ではなく、日本近代文学の未来への問いかけへと高めた。

西洋文学と日本文学を大きく見渡し、日本の近代文学が背負った宿命を鋭く照らし出したこの評論は、日本近代文学論の古典となった。

作者

登場する文学史