白き山
- 作者
- 斎藤茂吉
- 成立
- 1949
- 国
- 日本
- 時代
- 現代
概要
敗戦後の疎開先で詠まれた、斎藤茂吉の晩年の澄みきった歌集である。
茂吉は赤光の激しい生命感覚で、近代短歌を一変させた歌人である。この『白き山』は、その茂吉が、敗戦後の失意のなかで到達した、枯淡の境地を伝える歌集にあたる。
太平洋戦争の末期、茂吉は空襲を避けて、故郷に近い山形の大石田に疎開した。戦争に敗れ、東京の家も焼け、老いと病を抱えた茂吉は、深い失意のなかにあった。 この歌集は、その大石田で、雪深い冬を越しながら詠まれた歌を集めている。
うたわれるのは、最上川の流れ、雪におおわれた山々、そして北国の厳しくも美しい自然である。「最上川の上空にして残れるはいまだうつくしき虹の断片(きれはし)」——最上川の空に、消え残る虹の切れはし。その澄んだ美しさが、簡潔にうたわれる。
若い頃の赤光の燃えるような激情はここにはない。あるのは、老いと敗戦の悲しみを経て、なお自然の美を見つめる、静かで澄みきった心である。激情の歌人が、生涯の果てにたどり着いた、枯れて透明な境地。その到達点が、この歌集に刻まれている。
文学史における評価と影響
斎藤茂吉の晩年を代表する歌集であり、その生涯の到達点を示す作品とされる。
茂吉の歌の歩みは、劇的である。第一歌集赤光の燃えるような生命の激情。第二歌集あらたまのより沈静した内省。そしてこの晩年の『白き山』で、茂吉は、澄みきった枯淡の境地に至る。 激しさを削ぎ落とし、透明な観照へと至るその軌跡は、一人の歌人の生涯の完成として、高く評価されている。
敗戦という背景が、この歌集に深い陰翳を与えている。国は敗れ、都会の家は焼け、茂吉自身も老いと病を抱えていた。そうした喪失と失意のなかで、茂吉は、雪深い北国の自然と静かに向き合う。 悲しみを声高に嘆くのではなく、澄んだ心で自然を見つめることで、茂吉は、その悲しみを昇華していく。
最上川と雪の歌が、この歌集の白眉とされる。故郷に近い最上川の流れ、白一色の雪の山。それらを、簡潔で澄んだ言葉でうたった歌は、日本の自然詠の一つの頂点とされる。
激しい赤光から、静かな『白き山』へ。その対極を生きた茂吉の生涯の全体が、近代短歌の一つの大きな達成として、読み継がれている。 茂吉は、この歌集の刊行の数年後に世を去った。
内容
歌集『白き山』は斎藤茂吉の晩年の歌集である。太平洋戦争の末期から敗戦後にかけて、疎開先の山形で詠まれた歌を収めている。
戦争の末期、東京に住んでいた茂吉は、激しい空襲を避けるため、故郷に近い山形県の大石田に疎開した。そこで茂吉は、敗戦を迎える。
このときの茂吉は、深い失意のなかにあった。国は戦争に敗れた。東京の自宅も、蔵書も、空襲で焼けてしまった。 茂吉自身も、六十代の半ばを過ぎ、老いと病を抱えていた。すべてを失ったような思いのなかで、茂吉は、雪深い北国の冬を越す。
この歌集にうたわれるのは、その大石田の自然である。最上川の悠々とした流れ。雪におおわれた、白一色の山々。北国の厳しくも澄みきった冬の風景。
「最上川の上空にして残れるはいまだうつくしき虹の断片」——雨あがりの最上川の空に、消え残る虹の切れはしが、まだ美しく光っている。老いた歌人が、澄んだ目で捉えた、はかなくも美しい一瞬である。
雪の歌も多い。降りしきる雪、雪に埋もれる山里、雪の上に射す光。茂吉は、その白い世界を、簡潔で澄んだ言葉でうたう。 若い頃の赤光に満ちていた、燃えるような激情は、もうここにはない。
代わってあるのは、老いと敗戦の悲しみを経てなお、自然の美を静かに見つめる、澄みきった心である。悲しみを、声を上げて嘆くのではない。北国の厳しい自然と黙って向き合うなかで、茂吉は、その悲しみを、透明な観照へと昇華していく。
激しい生命の感動をうたった青年時代から、半世紀。燃えるような激情の歌人は、生涯の果てに、雪の山のように澄んだ、枯淡の境地にたどり着いた。 その到達点を刻んだこの歌集は、斎藤茂吉という一人の歌人の生涯を、静かに締めくくっている。